ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

「屋根の上のヴァイオリン弾き」で知るイディッシュ語の世界

1月13日(土)の10:30-12:00に講座を開きます。横浜です。受講料がかかってしまうので宣伝するのも心苦しいのですが、もしよろしければいらしてください。よろしくお願いします。

 

(この講座は無事終了しました。楽しかったです。ありがとうございました!! )

ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』の主人公テヴィエは、東ヨーロッパのユダヤ人の村に住む牛乳屋でした。真面目に伝統をまもり、地道に牛乳を売って生計をたてていました。けれども時代は変化し、大事に育てた娘たちは自分に反発し、次々と自分から離れて結婚してしまいました。さらにテヴィエ自身も自分の村を離れる日がきます。ミュージカル『屋根の上のヴァイオリン弾き』の主人公テヴィエは、東ヨーロッパのユダヤ人の村に住む牛乳屋でした。真面目に伝統をまもり、地道に牛乳を売って生計をたてていました。けれども時代は変化し、大事に育てた娘たちは自分に反発し、次々と自分から離れて結婚してしまいました。さらにテヴィエ自身も自分の村を離れる日がきます。 このミュージカルの原作は、東ヨーロッパのユダヤ人のことば「イディッシュ語」で書かれました。第二次世界対戦後めまぐるしい変化を遂げた日本で、半世紀にわたって愛され続けたミュージカルの魅力にイディッシュ語から迫ります。(講師記)


2018年 1月13日 土曜 10:30-12:00

 受講料 1月(1回)会員 3,240円一般 3,888円(税込み)

www.asahiculture.jp

 

チューリップの芽とイディッシュ

秋の終わりくらいに、近所の人がチューリップの球根をくれたので植えてみたら、年明けに芽が出ているのを発見!ベランダのチューリップと台所の水道の間を往復して、何日もの間、水をあげ続けたかいがあったと思いました。いくつか植えたチューリップの中の2つの球根から芽が出ました。写真はそのうちのひとつです。

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他の球根からはまだ芽が出ていません。今後の行方が気になります。これまで育てたいくつかの植物においても、成長が早ければいいっていうわけじゃないようでした。例えばば突然超暑くなったとき、一本だけすでに体が大きくなっていたがために(他にも理由があったかもしれない)、そのいのちを維持できず、力尽きてしまった朝顔がいました。その一方で小ぶりだった個体は、そのままその季節をしのいでいました。

以前、恐竜展で見た、厳しい時代は体が小さな生き物の方が生き延びやすいという展示のことを思い出しました。大きくて強い方がお得かと思いきや、塞翁が馬、世の中何がいいかわかりません。

こんなことを書いているうちにイディッシュ語のことを思い出しました。イディッシュ語はどこの国家のことばでもないので(ただスウェーデンでは公用語みたいですよ)、権威もなく教育や仕事の場で公的に使われにくいです。こういう状況だと一般的に衰退しやすいのですが、この激動の世の中においては、国家から独立して身軽なほうが意外と良いかも?!

いずれにしても、年明けからさっそく芽を出して春を感じさせてくれたチューリップたちの事は大事にしようと思っています。私ができる事は少ないので、自分たちでも頑張ってくれるといいです。

戌年で思い出す、イスラエルの女性と犬

今年はとくに犬の年なので、年賀状に犬とうつっている方々のことが本当にうらやましかったです。あまりにうらやましすぎたのか、思わず夫に「うちにも犬がいてよかったね」と言ってしまいました。そしてふわふわの犬の夢もみました。

さて、私がイスラエルに留学していたときの回想です。お座敷ゴールデンレトリバーと住んでいるユダヤ人の女性がこんなことを私に言いました。「旅行で日本に行ったことがあって、日本のことがすごく好きになったよ(結構こう言ってくれる人多いです)。でも日本では犬が家の外につながれていて、それが」ここで彼女はことばに詰まってからこう続けました「悲しくて。日本ではあれを見るのが辛かったわ」。

うちの初代と二代目も、外でつないでかってたなあと思いました。

私が「家の外に犬をすませるのがそんなに悲しいことなの?」と聞くと、彼女は「犬のクビに首輪をつけてそれを鎖でつないでいるのが、ああ!」と言いながらまたことばに詰まってしまいました。

私がこれを聞いたのはもうかれこれ10年くらい前ですが、今でも犬といえばすぐ思い出すエピソードのひとつです。

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うちに犬はいませんが、たまに上の階に住んでいるわんこの走る音や鳴き声が聞こえてきてます。あの子のお名前は苗字しか知らないんです。ご主人さまには「ぼくらが旅行に行く時あずかってよ」とせっかく一回言ってもらったんですが、毎朝の散歩のことを考えると。。。昔、自分ちの犬に朝4時に散歩しよう!って起こされたことあるんで、思いきれません。
ところで私が子どもの時にかっていた犬たちの居場所は、時代とともにか、住んでいた家の庭の広さとともにか、だんだん変わりました。昔の家には家庭菜園できるくらいの庭があって、その後はマンションの一室になったからかもしれないし、違う犬をかうようになったからかもしれないし、私たちの犬に対する考え方が変わったからかもしれないし、理由はわかりません。初代は庭の木につなでいたけれど、最後の子は家の中にいました。いずれにしても、他人の紹介やお店でたまたま知り合った犬を一方的な思いで家に置いてしまったのは犬たちに申し訳なかったような気もします。

朝日講座終了とインフル

去年の話になりますが、朝日カルチャーセンター横浜でのレクチャーを無事終えることができました。

聖地のクリスマス| 横浜教室 | 朝日カルチャーセンター

新設してくださった方々、応援してれくださった方々ありがとうございました。朝日カルチャーでの授業は受講者の皆様が博識で私も非常に勉強になります。

ワシントンへの出張から帰って1日後に朝日カルチャー・センターでの講義でした。いつの間にかハードスケジュールでした。

朝日カルチャーでは受講者の方々のお話もいろいろ出てきて、盛り上がって終えられて、とにかくほっとしました。その後子どもたちもインフルエンザになって家で寝込んでしまいました。ワシントンから帰った翌日、予定をふたつキャンセルし、小児科に行って家で子どもと過ごしました。

翌日は理解ある夫に子どもたちのことを任せ、12月25日は非常勤先で英語の今年最後の授業をして、なんとか年末を迎えました。

「できた。。。今年なんとか終えられた。。。よかった」12月末までいろんな文章の締め切りや出張や書類書きや子どもの宿題の丸つけしたり(今は親が書き取りや計算ドリルの丸をつけるんですね。学期中は週末以外のほぼ毎日やってます)、講演会にいったり、メールのお返事書いたり、そして授業に研究という、私にしては結構ハードなスケジュールだったので、終えられたことを感謝しました。

しかし、そんな気分も束の間でした。なんと私!もインフルエンザ陽性に。その後夫も陽性というインフルエンザの年末になりました。年始も元旦の夜から結構大変で、1月2日に休日当番医の先生のところに行きました。患者の話をよくきいてくれる先生でした。感銘を受けました。私はやや重症っぽい扱いになってしばらくベッドに横たわって良いことになりました。切羽詰まっているんだけど暇な長期戦の患者として、他の患者さんたちのいろんな状況が聞こえてきてしまったので、聞いてました。「うちは子どもが結構いるんでインフルエンザだと思います!」とか「これは扁桃腺に菌が。加えてインフルエンザだと思います!」と診断してから来る人も結構いました。

先生はこれまで患者さんが今飲んでいる薬のこととかを聞いていくのですが、それが優しくて。。。普段そこに通ってない初診の患者さんたちがいつも飲んでる薬のことをだんだん打ち明けるのが聞こえてきました。信頼関係が築かれていくのを感じました。患者さんの方は1月2日の夜に病院に来てるくらいなので、切羽詰まっているわけですが。

先生と患者さんの会話を聞いていて「こんな風に授業したい」と思いました。言語学習もちょっと診察似たところがあるかも。既習の言語、得意なことと不得意なこと、趣味などなど、学習者には個別のいろんな条件がありますもんね。

個人的には、言語の勉強をするとき、先生に自分の特徴を知ってもらえているなあと感じると安心します。

咳で苦しかったですが、病院の待ち時間暇にするしかない状況の中、いろいろと発見があってラッキーでした。

たまに違うお医者さんに行くのも良いですね。当番がまわってくる休日診療というのは良い制度だと思いました。普段会わない地域の患者さんを把握することができるし、先生にとってもメリットがあるのではないでしょうか。

この病院は1月2日の休日診療だったこともあり、患者さんがたくさんいて、私の診察が終わったのは夜の9時過ぎでした。診察待ちで時間がなかったので夕飯食べられず、でもよくここまで頑張った。。。と思いながら待合室に戻ると、そこに近所の知り合いが。年末年始熱で具合が悪くて大変だったとのことで、今ようやく病院に来ることができるまで回復したとのことでした。似てます。私も元旦夜から2日午後まで、病院行きたいけどどうやって。。。という状況だったので。ひとりじゃないっ!と確認したのでした。

その後夫も風邪をひいて寝込んでます。咳が続かない以外は私と症状が同じで、うつしてしまったな。と申し訳なく思ってます。

ちなみにうちは夫しか予防接種うってません。「ワクチン足りないんで〜」と何度か言われ、うたなくても大丈夫でしょうと思っていたら、うったひとまで感染!!来年は真っ先にうつぞ!とおもってます。

こんな私ですが今年もよろしくお願いいたします。

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ほぼ日手帳2018が入ってたダンボールで子どもが作った「ロボット」です。

あけましておめでとうございます!!!

あんみつ昨年は大変お世話になりました。おかげさまで、とても充実した一年になりました。昨年は、外大と東大でのイディッシュ語の授業に加えて、国立リハビリテーションセンター学院(所沢)の手話学科、関東学院大学(金沢八景)、朝日カルチャーセンター(横浜)での授業をしました。研究では、カイロとイスタンブルユダヤ人の調査、アメリカのユダヤ学会など、とにかくたくさん移動しました。自分にとってはじめてのことが多く、最後までやり切れるかドキドキの一年でした。思い出すと感慨深いです。お世話になった皆さま、応援してくださった皆さまに心より感謝申し上げます。今年もよろしくお願いいたします!!皆様にとっても良い年になりますように!

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あんみつ みはし美味しいですよ。たまに行きます。

ことばのこと4 意味を考えてことばを使っているか

今日ある外国のミュージシャンに、彼らがカバーしている曲のタイトルの意味について確認するために問い合わせたら、実はあんまり意味は知らないようだった。

別の人の曲だから、彼らが自分たちでつけたタイトルじゃない。(知らなかったからダメとかいうんじゃなくて)タイトルの意味を知らないで演奏できるなんてすごいなと思った。

それで子どもが言語を身につけるとき中でことを思い出した。最初のうちはあまり意味もわかっていないと思う。自分より大きな子や大人が話しているのを見て「こういうときはこう言うんだな」とか思っているんだと思う。そして、今こそこれをいう瞬間!というのがきたら言ってみるんだと思う。「あじゃ(やだ)」とか「こちゅて(こうして)」とか、最初はかわいいが、だんだんヒョエーー言い返せない!とか、このことばはあのとき私が言ってしまった一言だ、失敗した。とか思うようなことばが飛び出すのだった。子どもは最初のうちは意味もわからずに言っているのだと思う。私は自分が語学を学習するとき、子どものように、まだ意味ははっきりわからないけどその場にフィットしそうだから言ってみるということがある(心の中でこっそりいう時もある)。その言葉がその場面にぴったりフィットする瞬間を何度も経験すると、OK!ナイス!決まった!ということで、それをひとまず身につけるんじゃないかなと思ってる。(ちなみにそぐわない発言をして、周りの空気が凍りつき、かなり険悪になったことが一回ある。かなりトラウマになっているが、おかげさまでその時もよく身についた)

さて、タイトルの意味を知らないで演奏する話に戻ると、これは料理にも似ていると思った。ボルシチ、カレー、スープ、ピロシキ、しゅうまい、餃子、キッシュ、ラーメン、ステーキ・・・この中でいくつ意味がわかるだろう。でも味はなんとなく想像できるので店で注文するし、どれも名前の意味も知らないのに家で作ったことがある。美味しかったし、幸せだった。だからとりあえずはそれでいいと思ってる。今日はカレーにしようとか、餃子が美味しいなと思えることが幸せだと思う。誰かと一緒にあれ/これ美味しいよねーとか話すのが個人的には好きだ。

曲名の意味を知らないで演奏していることがあるんだというのは、音楽を全然演奏しない私にとって驚きだったけれど、意味を知らなくても演奏はいろんな方法で伝わってるんだろう。それでできちゃうプロはすごいと思う。

言語習得や音楽の専門家だったら、もっと違う説明をしてくれるのかもしれない。でもとりあえず私はこんな風に理解してみた。

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「これがオフロか」「ニューヨーク(入浴)」「オフロってあったかいのね」「なんかお湯がびみょうに黒いね」

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「日サロっていいね」、「これは干されてるっていうのよ」、「でも気持ちいいからなんでもいいや」、「ガスパールって日サロいらないよね」

ことばのこと3 ひとつのことば、ひとつの人格

イスタンブル(トルコ)のユダヤ人から興味深い話を聞いた。「いろいろなことばを知っていると、いろいろな人格がもてるのよ」とのこと。一瞬何のことかよくわからなかった。

その人が説明してくれた。あることばを身につければ、そのことばを使う自分というのが自分のなかにもうひとり増えるとのこと。なるほど。

イスタンブルの別のユダヤ人は「学ぶ」ということについて話しているとき、学んで「可能性を広げとくのよ」と言った。私がここの人たちからよくこの種の話を聞くな・・・と思った。彼女は続けて「一本の腕を切られて、もう一本の腕を切られて何が残ると思う?!」と、自分の腕を切るようなジェスチャーをしながら言った。

知識や知性というのもは、その人の可能性を広げ、命さえ助けるときがある。

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イスタンブルトプカプ宮殿よりパノラマ撮影

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↑場所はこの辺です

 

つづく

 

米国ユダヤ学会に来ています

いまアメリカのユダヤ学会に来ていますが、イディッシュ語が共通言語としてかなり通用しています。私の場合、英語だと恥ずかしくなっちゃって言えないことでもイディッシュ語ヘブライ語なら言えるという謎のフツパ(図々しい)力が備わっているようです。研究続ける上で困っていることを相談できて本当に助かってます。10年ぶり(ネット上ではこの前会いました)にリアルであった友達(私のイディッシュの兄です)もいます。イディッシュで喋っていると、人がよって来て、お互いいろんな人と知り合えて助かります。
学会参加人数が何人いるかわからないけれど、昨日まで静かだったホテルはユダヤの御一行様でワイ
ワイガヤガヤしています。一度に数え切れないほどの発表が別々の部屋で開かれていて、選ぶだけでも大変です(贅沢・・・)。たくさん話すことあるんですね。今のアメリカとユダヤ人をテーマにした、大統領の話も出て来そうなタイムリーなセッションもあるんですが、他のセッションにいったため、いけませんでした。人生は選択の連続である。
↓ほんの一例です。学会アプリまたは、もらった冊子の中にたくさんのレクチャーが並んでいます。大きな学会ってこんなもんなんでしょうね・・・。ちなみに指はプログラムをおさえててくだっさった学会受付の方のです。

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こんな感じのページがたくさんあります。
学会が大きすぎてなかなか友達に会えないだろうなと思いましたが、会いたいだけあって偶然同じ発表聞いてたりするからそこで会えます。助かってます。ネットでしか見たことのない憧れの研究者にもあって自己紹介できました。あと、日本にいらしてたフェルドマン先生やエンゲル先生ご夫妻にもお会いしました。お三方ともイディッシュ語話者なので非常にリラックスできました。それにしてもみんな優しい・・・。最後の日が終わったらアメリカのイディッシュのメディアの人がインタビューしてくれるみたいです。それが終わったら寝て、日本に帰ります。始まったばかりだけど、明日以降も収穫がありそう。来てみて本当に良かったです。

ワシントンDCのクリスマスとハヌカ

ワシントンDCにきています。クリスマスの飾りがいろいろなところに見られます。ユダヤのお祭ハヌカの燭台もクリスマスツリーの近くにさりげなく飾られていたりして面白いです。ホワイトハウスでは毎年ハヌカのセレモニーをするらしいです。

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↑ホテルのロビーにあった大きなお菓子の家。どれだけ材料を使ったか書いてありました。その隣にハヌカの燭台が。ロウソクの代わりに電球が付いてます。

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↑道端でなんだかきれいだったんで撮りました。

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citibankです。ツリーの下にハヌカの燭台が。

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↑スーパーの入り口。ツリーが売られてました。

Yiddish in 2017

先日2017年最後のイディッシュ語の授業が無事終わりました。いろいろな方に支えられてイディッシュ語のクラスが実現していることに心から感謝しています。本当にありがとうございました。

日本でイディッシュ語の授業が存在すること自体が、すごいことだと思います。私は今後大学に通年のクラスを作って続けて行きたい、海外の研究者を日本に呼びたい、そのための土壌を作りたいと思っています。

アメリカでもイスラエルでも、研究者達の努力でイディッシュ語研究のフィールドが切り開かれて守られてきました。日本はあんまりユダヤ人がいないところですが、ユダヤやイディッシュの人気は結構高いので、何かしらできるんじゃないかと思います。今後ともよろしくお願いします。

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イディッシュ語の歌とフォークロアのサイト

さて、先日授業の時にイディッシュ語の歌やフォークロアに興味がある方がいらっしゃることを知りました。そこでゴッテスマン博士のことをご紹介したいと思います。

↓まず、テキサス大学イディッシュ語の先生で研究者、ゴッテスマン博士のサイトです。歌やフォークロアにご興味がある方は研究してみてください。そして面白いものを発見したら私にも教えてください。

yiddishsong.wordpress.com

ゴッテスマン家は、フィッシュマン家、シェヒター家と並ぶアメリカ・イディッシュ語御三家!です。

家族ぐるみでイディッシュ語を話す環境を作ろうということで、ブロンクスに御三家でまとまって住んでいたそうです。公立学校に通いながらショーレム・アレイヘム(イディッシュ語作家の名前)学校に通っていたそうです(私も今からでも通いたいです!)。ゴッテスマン博士はイディッシュ語新聞フォーワードもたくさん記事を書いていらっしゃいます。

ゴッテスマン博士の紹介は下のリンクを参照してください。

https://liberalarts.utexas.edu/scjs/faculty/yg5679

優しいし、イディッシュ語も素敵だし、本当にすごい先生だと思います!!

ゴッテスマン博士のイディッシュ語やお人柄を垣間見たいという方は、こちらの動画をどうぞ。

Itzik Gottesman | Yiddish Book Center

 

エルサレムのこと雑感

さて、最近話題のエルサレムに関わる話です。最初に断っておきたいのですが、

私はどちらかを応援しているわけではありませんので、ご承知おきください。 

私もエルサレムに一年半住んでいました。ヘブライ大学という山の上にある大学の寮にいました。その寮にはいろんな学生が住んでいました。イスラエル生まれのユダヤ教徒、外国生まれのユダヤ教徒(移民)、地元のイスラム教徒、キリスト教徒、外国からの留学生・・・。寮の中では隣人同士、運命共同体なので、どういう立場であろうと、気の合う人とは仲良い人は仲が良いし、そうでない人とはあんまり話さないという感じでした。

日本でも仲のいい人とは、何区、何市、何県出身かとか普段はあんまり意識しないし、関係ないのと同じだと思います。

寮の中に仲の良いグループがあって、色々な宗教の人たちが集まって(ユダヤ人もアラブ人も)一緒に飲んだりしてました。

でも、個人的には仲が良くても、家族や国がかかわってくると、かなり気まずくなるってことがあります。とくにイスラエル独立記念日の時はきつかったです。一方は喜んでいるし、もう一方は沈んでいるし、悲しかったです。

イスラエル独立記念日は地元のアラブ人にとっては、ナクバ(アラビア語です。日本語には大災厄の日と訳すみたいです)です。

パレスチナ問題 - Wikipedia

1998年にドイツのボン大学でドイツ語夏期講座に参加した時のことを思い出しました。韓国からきた学生たちと、日本からの学生たちは結構仲良くしていて、毎日声を掛け合ってたんですが、8月半ば、彼らから全く話しかけてこなかったのでした。その時はドイツ語の授業に出て宿題をするので必死ですので、全然気がつきませんでしたが、ある日本人が「終戦記念日だ!」と気がつきました。第二次世界大戦は私たちの祖父母の世代のことですが、それでも、私たちが日本と韓国に属している限り、関係がありました。日本が終戦(敗戦)記念日の時、韓国は日本から独立したことを祝う光復節というのがあるとのこと。

光復節 (韓国) - Wikipedia

昔韓国人ガイドの金さんから「戦争はやった方はすぐ忘れるけれど、やられた方はずっと忘れない」と言われたことがあります。そのことを思い出しました。

トランプ大統領エルサレムを首都と認めると宣言したことに関して、大きなニュースになっています。

トランプ大統領 エルサレムをイスラエル首都に認定宣言 | NHKニュース

ユダヤ人たちの意見も割れています。ユダヤ人も一枚岩ではありません。いろんなところ人住んでいますし、イスラエルに住んでいるユダヤ人もいろんなところからやってきています。同じところに住んでいても、いろんな生活をしていて、考え方もそれぞれです。

日本人の考え方がみんな安倍首相と同じじゃないのと同様に、ユダヤ人たちの考え方も、イスラエルの人たちの考え方もネタニヤフ首相と同じじゃありません。Facebookなどではアメリカのユダヤ人の人たちが自分たちの(選んでもいない)大統領が今回の決定をしたことへの抗議文を載せていました。そんなには宗教的ではない知識層の人たちに多いです。トランプ大統領を支持すると表明した若い研究者を「フェイク学者」と非難する投稿もありました。あるイスラエル人は、トランプの発表を受けて、最近自宅付近に向かってロケット弾が発射されたとのこと。でも「完璧に迎撃した」とのこと。

私は複雑な気持ちになりながらも、次の瞬間、迎撃システムというものがうまく作動するものでよかった・・・。と、自分の身の安全のことを考えてしまいました。

しかし、また次の瞬間、ハッとしました。もう夕方でした。「やばい、早く家に帰って天ぷら作んなきゃ!」

原稿の締め切りを抱えているし、授業もあるし、毎日生きるのに必死な私は、とにかく家路を急いだのでした。

エルサレムに住んでいる知り合いたちはどうしているんだろう。住んでいる人たちは大変かもしれないし、普段とあまり変わらない生活をしているかもしれないし、ユダヤ人の皆さんはハヌカのお祭りで料理作ったりして忙しいかもしれません。

ハヌカー - Wikipedia

エルサレムの人と原稿のやりとりをしているのですが、首都の話がちょっと気になるから聞いてみたいけれど、原稿を早く仕上げないともう締め切りだし、別の原稿もあるし、「今どんなですか」と聞くのもただの野次馬だし・・・、ああ、今日の夕飯は何にしよう?!、今週末からの出張に無事行けるといいな!、インフルエンザの注射どうなるんだろう?来年うちの子は保育園と学童入れるのかな・・・と、いろんなことを思いながら生きてます。

ということで、こういった大事件のときは、皆さんの立場が表に出るなと改めて思いました。当事者や周りの人々や団体の立場や対立が、より鮮明になるなと思います。

アブロム・スツケヴェル氏とミリアム・トリン氏のこと Dr. Mirim Trinh's Lecture The Great Trajectory of a Great Yiddish Poet: Avrom Sutzkever 1913 – 2010 (2016 in Tokyo)

The lecture "The Great Trajectory of a Great Yiddish Poet: Avrom Sutzkever 1913 – 2010" by Mirim Trinh (At the University of Tokyo in 2016) was translated into Japanese by Satoko Kamoshida. (And Sutzkever’s poetry was translated by Moriyasu Tanaka ans Satoko Kamoshida). It will be published soon in 2018 in the literature journal Реникса (Reniksa).

Information about Reniksa:  CiNii Books - れにくさ : 現代文芸論研究室論集

 イディッシュ語作家の話です。

2016年の秋に、東京大学の沼野義充先生にお願いし、ミリアム・トリン博士(Dr. Miriam Trinh, エルサレムヘブライ大学 イディッシュ・プログラム)を招聘していただきました!

2018年はじめに、その時の講演録の翻訳が、東京大学の現代文芸論研究室から出ます『れにくさ』に掲載されます。ミリアム博士が東大の講演の際に紹介した6つの詩(田中壮泰氏訳。大変だったと思いますが、快く引き受けてくださいました)と、早稲田の講演の際に紹介した1つの詩(鴨志田聡子訳。一つの単語が重層的な意味を持っているし、韻も踏んでいるし・・・だいぶ苦労しました)も載っています。以下に講演の要旨↓(ミリアム・トリン著、鴨志田聡子訳)を載せました。お楽しみに〜。

「偉大なイディッシュ語作家の壮絶な悲劇:アヴロム・スツケヴェル 1913(スモーゴン)-2010(テルアヴィブ)」ミリアム・トリン博士

アヴロム・スツケヴェエル(Avrom Sutzkever)は、1913年にスモーゴン(現在ベラルーシのСмаргонь、Smarhon)で生まれ、2010年テル・アヴィヴ(イスラエルの都市)で亡くなりました。彼は20世紀で最も偉大な詩人のひとりでありながら、イスラエルでもまだほとんど知られていません。なぜかというと、彼の偉大さは原作の言語、つまりイディッシュ語が読める人にしかわからないからです。皮肉なことですが、スツケヴェルを著名な詩人にしたイディッシュ語が、彼を同世代人々、そしてその土地から引き離してしまったのです。

スツケヴェルはヴィルナ(現在リトアニアの首都ヴィリニュス)で育ちました。彼の母語イディッシュ語だったのですが、彼が通ったユダヤ人のギムナジウムポーランド語で教育していました。スツケヴェルが文学の世界を見出したのはポーランド語を通してでした。イディッシュ語世俗文化の素晴らしさを見出したのはその後でした。

スツケヴェルは美しいものを求め、愛しました。シンボルやイメージをもとに独自のことばを創作しました。彼がその題材にしたのは自然、とくに1915年から1921年に幼少期を過ごしたシベリアの自然でした。

1941年6月にナチが旧ソ連に侵攻し、スツケヴェルはヴィルナの他のユダヤ人たちと一緒にゲットーに入れられました。彼は破壊に直面しながらも書き続けました。書くことこそが自分自身を救うのだという彼の信念は、さらに強くなりました。スツケヴェルは詩をつくることに固執したのですが、それに別の意味を持たせる必要があると感じていました。そして創作で道徳的責任を果たすようになりました。書き続けることで、犠牲者たちの記憶を生き続けさせようと。

スツケヴェルは、1944年のはじめに彼のために組まれた特殊作戦によって救出されました。ヴィルナ近郊の森でパルチザンをしていた時でした。特別なヘリコプターが送られ、スツケヴェル夫妻がモスクワに移送されました。旧ソ連の著名な詩人たちとのつながりが彼を助けました。

1944年夏にヴィルナが解放されると、スツケヴェルはそこを訪れました。荒れ果てたゲットー跡で、彼はそこに住んでいたユダヤ人たちの遺産を見つけ出しました。そのほとんどは、彼自身が隠した貴重な本やマニュスクリプトでした。彼は歴史的な遺産を集めてそれらをスツケヴェル・カチャルギンスキー・アーカイブ(Sutzkever- Kaczerginski Archive)に収めました。それらは今日でもニューヨークの東欧ユダヤ研究所(YIVO)やエルサレム国会図書館に保存されています。

1947年9月、スツケヴェルはパレスチナに渡りました。彼は1949年にそこでイディッシュ語雑誌『黄金の鎖(Di Goldene keyt)』を創刊し、1995年にこの雑誌の最終号を出すまで編集長を続けました。この雑誌はイディッシュ語文学や文化の中心的な存在となりました。

スツケヴェルは変化しつつも、ずっと大切にしたことがあります。彼のひらめきの源、自然とそれがもつ魔力です。彼の詩は、彼自身が生涯にわたって親しんだ多様な自然の風景で満たされています。詩の中で紡がれたシンボルや景色には、異なる時期に書かれたものでさえ連続性があります。彼は詩人として、創作というものがもつ美しさと強さを大切にしていました。

過去と現在の複雑な関係を描き出す連続性は、スツケヴェルの署名にも見られます。雪です。雪はいろいろなものを表現しています。まず、彼が幼少期に見たシベリアの雪、そして1941年のヴィルナの雪です。さらに、ヘルモン山の雪でもあります。そして雪は珠玉の光も表現しています。スツケヴェルは珠玉を完璧な世界の象徴として用いています。

スツケヴェルは生涯にわたって完成された世界をテーマにし、イディッシュ語で表現し続けました。彼は外国の雪を詩にのせて密輸し、保存しました。その珠玉はヘブライの砂漠で輝き続けています。 (著:ミリアム・トリン、訳:鴨志田聡子)

この講演について

これは2016年10月17日(月)に科研費研究プロジェクト「越境と変容―グロ―バル化時代のスラヴ・ユーラシア研究の新たなパラダイムを求めて」および科研費研究プロジェクト「イスラエルユダヤ人の言語的多様性:ユダヤに内包されたイスラームの研究」の一環として開かれた、ミリアム・トリン氏の講演です。

ミリアム・トリン氏について

ミリアム・トリン氏は、エルサレムヘブライ大学(イスラエル)でイディッシュ語文学および東欧ユダヤ文学を研究し、イスラエル国内外のイディッシュ語の語学講座で教えて来ました。同氏はポーランドで生まれ、ドイツで育ち、19歳でイスラエルに移住しました。主な研究テーマは東ヨーロッパにおけるユダヤ人の文学で、エルサレムヘブライ大学で博士号を取得しました。ヘブライ語ポーランド語、ドイツ語の文学作品をイディッシュ語に翻訳している他、イディッシュ語の出版プロジェクトにも携わっています。

ミリアム氏と私

2006年から一年半、私がエルサレムで勉強している頃、ミリアム氏が自宅でイディッシュ語の読書会をやっていました。毎週水曜日夜の9時から12時ごろまでみんなで小説を読みました。9時から始まったのは、彼女の子どもたちが寝た後で読書会をやるためです。私もいつかミリアム氏がやっていたような読書会をしてみたいと思っています。できればイディッシュ語で、そうでなくても他の言語でもいいから・・・。彼女とその家族のことは、私の博士論文『現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動』(三元社、2014)にも書いてあります。

 

ということで、『れにくさ』(今原稿を校閲してます)の予告編でした。私にとって『れにくさ』に原稿を載せていただくのは一つの目標でもあったので、こういう形で実現して非常によかったです。

レクチャー@朝日カルチャーセンター横浜(2017.1.23)Lecture about Fiddler on the Roof and Yiddish

I'm going to give a lecutre about Fiddler on the Roof in Yokohama!!

ミュージカル、映画の『屋根の上のヴァイオリン弾き』を題材としたレクチャーをします。以前、早稲田のセカンドアカデミーで開講した時に、大きな反響をいただきました。今回の会場は朝日カルチャーセンター横浜です。

この冬、このミュージカルが市村正親主演で上映されます。

主人公のテヴィエとその娘たちの話は、イディッシュ語話者の先生たちとイディッシュ語で小説を読んでいる時にも、しばしば出てきます。今でもユダヤ人、日本人、そしてそのほかの人々によく知られている作品ですので、新しく友達になったユダヤ人との話題作りにはもってこいです。

テヴィエの娘たちは、みんな勝手に相手を決めてきただろう!と。テヴィエと妻の時代は、結婚仲介人(世話好きの近所のおばさん)のおすすめや親などの意向が尊重されていました。世代にちょって、人々は変わっていくのですね・・・。切ないけれど、どれでこそ次世代の活躍が期待できるというわけで、ポジティブに行きましょう!

ということで、結構日本の社会との共通点も見えてきたりして、主人公たちの状況が身近に感じます。

youtu.be

www.tohostage.com

 

この作品の原作はイディッシュ語でした。私はイディッシュ語をとっても愛しており、専門の一つにしています。なので、テヴィエの活躍に便乗してイディッシュ語の話もさせていただきます。www.asahiculture.jp