ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

語学の達人

20世紀の終わりくらいからこれまでに出会った、いろんな語学の達人たちを観察し、気がついたことを中間報告しようと思います。

語学の達人は一見天才のように見えます。でもまず彼らは努力の達人だと思います。そして語学学習を主体的にする達人、自分や周囲のいろんな言語を受け入れる達人だと思います。

私は今学期は、東大と外大と外大の社会人向け講座でイディッシュ語を教えています。他にも日本手話の専門教育機関である国立リハビリテーションセンータの手話通訳学科文化人類学を教えています。各所で週に一回、学生の方々に会います。

みなさんを見ていて思うのは、語学学習には主体性が大事だなあということです。

イディッシュ語を去年の8月から始められた方々が、最近イディッシュ語で言いたいことが言えるようになってきています。聞いてみると、ご自分でかなり頑張っていらっしゃっているとのこと。今年の4月から勉強を始められた方々も、イディッシュ語の質問にイディッシュ語で答えられるようになってきています。

手話の学校では、勉強中だという方もすでにかなり手話を話せます(ちなみに私は手話を教えていなくて、垣間見ているだけです)。今年の4月に入学した方々は、10月からは今日室外の学院生活では日本語は使えなくなって、原則手話だけになるみたいです〜。ヒョエー。ちなみにこの学校では書きことばは日本語が共通語ですので、どうしても手話で言えない場合は書きこどばで対応できます。日本手話と日本語間の通訳をしてくださる先生や学生の方もいます。

と、各所で、ものすごい進歩を遂げられている方々を観察している私です。自分自身は、語学はかなり苦手です。でもたまに、語学がよくできるとか言われます。なんでだろうと思うんですが、苦手でも好きだからかもしれません。通じた時は嬉しいですからね・・・。最近は手話でそれをほんのり味わっています。

手話もいくつか覚えました。下手くそですので、手話で「おはようございます」といったつもりが、招き猫みたいになっているのですが。「またね」は「はいチーズ」みたいになります。反射的に相手に伝わる手話をするのは難しいことなんだなあと思います。

ところで、多くの方は英語の学習のご経験があるのではないでしょうか。

英語の勉強をする中で、単語の綴りをみてもうまく発音できなかったり、お手本の発音を真似できなかったり、単語を一応覚えたのにちょうどいい文脈で使えなかったり・・・。真面目にやってるつもりなのに〜と、なかなかもどかしいですよね。

私は最近語学というのは、鉄棒やマット運動に似ているんじゃないかと思っています。鉄棒やマットがうまくできない時と同じで、言語のコミュニケーションもうまくいっていないと、自分でもなんとなくわかるんですが、でもどうしょもなくて・・・。

うううっむずかしいーという感覚、似ている気がしています。でも、ふとした時に「あ、そっかー」とわかったりすると嬉しいですね!

相手の言語で話したいって気持ちが通じるだけでも、何かは通じているわけで、

イディッシュ語で言えば、

.בעסער ווי גאָרנישט

ラテン文字表記:beser vi gornisht. (意味:何もないよりマシ。)

残り少なくなった今学期です。たのしく無事に終わりますように。