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富士山1

富士山は、静岡から見たのが表なのか、山梨から見たのが表なのか。見慣れた富士山の形によって議論が分かれるようです。

静岡出身の私は、静岡を出るまでそんな議論があることは全く知りませんでした。自分が通っていた小学校、その名も富士宮市立「富士見」小学校の校庭から見える富士山が唯一の形だと思っていました。

千代田区にある科学技術館に富士山の模型が展示してありました。思わず自分の富士山の形を探してしまいました。

(遠くにいるとなおさら懐かしくなるもので。。。)

 

富士宮に住んでた自分としては誇らしかったです!!

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模型はもともと色が付いていなくて、朝昼晩、春夏秋冬の富士山のイメージに変えられます。考えてみれば太平洋側からの富士山ですので、山梨の人はもう一バージョン作りたいかもしれないです。

 

私は模型を大きくして、一周まわりながら見られるようにしたいです!!

 

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いろんな人の富士山の投稿写真。

 

みなさんは、ご自分に馴染みがあるものだと、ちょっとでも違った時にかえって違和感を覚えるという経験がありませんか。

 

父方の親戚は山梨に多いのですが、山梨から見た富士山は私にとっては何か違います。母の出身地小田原に行くと富士山は遠いし、裾野が隠れてしまっているしで、ちょっとしか見えません。中途半端で不思議な感じがしました。

 

それどころか、静岡県の西部から見る富士山さえなんだか違うという始末です。

 

イディッシュ語の調査でもラディノ語(ラディノ語は通称です。ブニス教授は学名はジュデズモがふさわしいとしています。ユダヤスペイン語とも呼ばれます)の調査でも、それらを話す人たちやその子孫は、自分の方言はこの地方のだよとよく教えてくれます。富士山を見ていてそれを思い出しました。

私も誰かが富士山の調査として自分のところに来たら、自分の富士山がどんな形だったか言いたくなるかもしれません。プリンをひっくり返したような絵のように簡略化されたイメージだったらまだしも、山梨の富士山を見せられたら、これは私の富士山じゃないと思うし、言ってしまうだろうなと思いました。

 

ある時、宿泊先の本棚に表紙に富士山の写真が付いた本が飾られていて、これこそ自分が知ってる形!!と思って手に取ったら、なんと、私の富士宮の家から徒歩30秒のところに住んでた人が書いた本でした!

言語でも風景でも、こういうふうにかなり特定されたとき、つながりを感じたり、もともとのつながりを再発見できたりして面白いなと思いました。