ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

イディッシュ語を勉強しはじめたときのこと1

インタビューを受けたのをきっかけに、いろいろ思い出したことがありました。ここにイディッシュ語学習活動を参与観察しはじめたときのことを記しておくことにしました。
私は田中克彦先生に「君、イディッシュやれよ」とすすめられたのをきっかけにイディッシュ語を勉強しはじめました。とはいえ、一人で勉強するしかなかったので、次のような方法を取りました。

まず、2003年のはじめに教科書を買いました。
言語学者ウリエル・ヴァインライヒ(英語読み:ワインライク)によって書かれたイディッシュ語の教科書カレッジ・イディッシュ(College Yiddish)です。

(この教科書がすごかったので、イディッシュ語のことをもっと知りたくなりました。最初の一冊は肝心なのかもしれないです)
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これは主に米国のイディッシュ語話者の子孫に向けに、英語とイディッシュ語で書かれた教科書です。ヘブライ文字を覚えるとドイツ語の知識で文字さえ覚えればある程度読めてかなりの高揚感を味わいました。けれども読み進めるうちに、わからない単語の意味はすべて調べ、文の構造も理解しているはずなのに短い文章すら理解できませんでした(自分でも知っているようなこと、想像できることは読んで理解できました)。「なんでだろう」と不思議な感覚を味わいました。でもとにかく、この教科書には、ヴァインライヒイディッシュ語への愛がほとばしっていました。愛・・・。言語学習で愛を感じるなんて。

(後から気がついたことですが、理解できなかったのは、その文章が書かれた「文脈」(本来「背景」と呼ぶ方がふさわしいけれども、ここでは「イディッシュ語自体の」という意味を込めて「文脈」と呼ぶことにします)を知らなかったからだと思います。)

どうしよう。と一瞬悩んだんですが、とりあえずインターネットで、"Yiddish Summer Course"などと検索してみました。すぐにニューヨークとリトアニアイディッシュ語夏期講座があることを知りました。ニューヨークはものすごく高額で当時の私には払えなかったので、リトアニアに行くことにしました。誰か友達ができればなんとかなるかもしれない、イディッシュ語をきいてみたいと思って。

イディッシュ語を一緒に勉強する仲間を求め、2003年にリトアニアの首都ヴィリニュスで行われたイディッシュ語夏期集中講座に参加しました。この講座ではじめての日本人参加者だったと思います。完全に日本語無しで一ヶ月過ごすのははじめての体験でした(とはいえ、インターネットは繋がりましたし、途中、イディッシュ語夏期講座に杉原千畝記念館訪問ツアーが組み込まれていて、そこで日本語を目にしました。あと、日本人旅行者が途中で来て、一緒に散歩しました)。

私はイディッシュ語話者の子孫ではない非ユダヤ人として、彼らと一緒にイディッシュ語講座を受講してイディッシュ語を学びはじめました。すると、一般的な海外の語学講座にありがちな、いろいろな国からいろいろな言語を母語とする人たちが参加しているというパターンとは違って、いろいろな国からイディッシュ語を「マメ・ロシュン」とする東欧系ユダヤ人が集まっているということがわかりました。「マメ・ロシュン(mame-loshn)」とは「母語」を意味しますが、イディッシュ語話者やその子孫は、たとえイディッシュ語が彼らの母語ではなかったとしても、イディッシュ語への愛着を示し、こう呼びます。ちなみに一般的な母語を示す単語は、mutershprakhです。
続く。