ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

人の手 続き

前投稿で救急車にのったおばあさん(人の手 - ユダヤ人と言語 Jews and Languages)の続きの話です。

数日前、お元気なのに転倒し、救急車で運ばれていったおばあさん。一緒に救急車を待った、お医者さんと私。

おばあさんのことは、きっと大丈夫だと信じています。でも、ときどきふわっと「大丈夫だったかな」、「病院からでられたのかな」などと気になります。

家で夕食をとるときもちょっと話題になったりして、いろいろな可能性がふわっと頭に浮かびそうになります。けれど、でもそれを踏んづけて、かきけして、「大丈夫でしょう!」と。

ことばには気をつけなければ。ことばには、現実をつくるような、すごい力があるから。

それはユダヤの研究を通して私が学んだ大事なことのひとつです(完璧にできたらどんなにすごい人になれるだろうか)。

それでおばあさんのことは「大丈夫だったかな」と思うことにとどめていたんです。

そんな中、今日バッタリ、おばあさんが救急車に乗る前までご一緒してお医者さんに会いました。

そしてお医者さんは会ってすぐ、「あのおばあさんは大丈夫だったかな」と言ったのでした。しかも「あのおばあさんのとき、一緒にいてくれたの」と、一緒にいた人に私について紹介してくれました。

今日のことがあって、この数日間、「きっと大丈夫だよね」という気持ちを共有していた人がいたことに感動しました。尊い心のつながりを感じる瞬間も多いので、前向きに生きようとおもう今日この頃です。

人の手

この2年コロナ禍で、家族以外の手の温もりを感じる機会がなかった気がします。

あたたかい平日、ランチ休憩に散歩していたら、なんと道で人が倒れていて囲まれていました。買い物帰りの人。とても心配です。たまたま通りかかったというお医者さんと私は、流れでその人に付き添うことになりました。

その人は、意識がはっきりとあるものの、座るのがやっと。本人との話し合いの結果、救急車を呼ぶことになりました。結構お話するので、本人の意識が飛ばないようにと思って、話を横で聞くことにしました。

救急車、なかなか来ないなーと思ったりもしたんですが、お医者さんが一緒だったので安心でした。

しばらくすると、救急車の音!通り過ぎて行きました。近所で何かあったのかと思ったんですが、考えてみたら、ここです!

救急車が来るとその人は運ばれていったわけなのですが、最後に私の手を握ってくれました。その手は、骨張っているのにやわらかくて、優しくて私の手を握ってくれました。担架が救急車に運び込まれる時に、すーっと離れました。

あっという間に運ばれて行きました。

お医者さんは「(病院の)外で人の役に立てて嬉しかった」と。救急車が来るまで場所を貸してくださった方、そこに倒れていた方を運び込んで下さった方、飛び込みのわたしたちがいたので、待たされたのにとっても優しかったお客さん。救急車にのるまでいろんな話をしてくれたその人。

みなさん本当に素敵で、優しい社会なんだなと思いました。

あたたかくなってくると思い出すエルサレム

あたたかくなって良かったですね。

昨日だったか、一昨日だったか、ラジオで、「ジャケットを着るとちょっと汗ばむくらいです」と言っていました。

外に出ると冬にためたものが抜け出るような「ジワッ」とした感触。それを感じると同時に、エルサレムにいる感覚がよみがえりました。行きたいな。

どうしてもふと思い出してしまいます。

今年は行けると良いです。

 

ところで私は毎年花粉症がひどいんですが、コロナ禍のステイホーム(涙)や、マスク着用により、だいぶ花粉症的には楽です。

3月末にひとつの区切りを迎える方々、本当におめでとうございます。

プリム Happy Purim! 🎉חג פורים שמח

ユダヤの祝日。ヘブライ語のあいさつ春編。

いよいよ3月16-17日、プリムです。イスラエルだったら仮装したり、賑やかな音を鳴らしたり。子どもが喜ぶような賑やかで楽しいお祭りです。

久しぶりに連絡する人や普段からの友だちに、Happy Purim!とひとことメッセージを送るのもよいかもしれませんね。

イスラエルでのリスケ(予定変更・延期)

イスラエルの文化、イスラエル人との付き合い方のお話です。
この2年、予定と実行がきっちりめの現代日本ですら、ちょっと後の未来が、予測不可能。多くの予定がキャンセルされ、リスケ(変更・延期)され、キャンセルされ。だと思うとある時思い切って実施され。アクティブです。

それで、イスラエルにいるとき、不確定な未来、そしてリスケが常だったなと思ったのでした。

以下、ビジネス等でお付き合いのある方は、参考になるかもしれないです。
予め会う約束をしても、当日連絡必須です。当日変わることはザラなので。でもそこが良いところです。努力目標くらいに思うと良いです。

タブルブッキングみたいなこともしょっちゅう起こりました。最初は本当にびっくりしたし、混乱しました。でも自分にもダブルブッキングが起こります。そういうときは私の場合は、できればリスケ(多くの場合は会う予定が多すぎて大変難しい)、または、まとめて会ったり、食事の時間を一緒に過ごしたり、睡眠時間を削って会ったり。もう一つ、時間の問題を乗り越えるために、会う場所を変更して相手の都合の良い場所まで自分が行ったり、来てもらったりと調整します。とにかく前向きにリスケすると、予想以上の感じにどんどん楽しくなり、充実した時間が過ごせます。

あと、たずねた相手が、次の人のところまで車で送ってくれること、次の集まりに誘ってくれることもよくありました。

自分が車を運転できないというのが理由かもしれないけれど、車に乗せてもらうことが多いです。嬉しいです。車での移動中の会話や出来事は、すごく思い出に残っています。自分はなんて恵まれているんだなと。

こんなこともありました。猛暑の日に私がエルサレムで迷って、やっと見つけた2人の女性に道を聞きました。優しい。すると、命からがら焦る私に「まず飲みなさい」と、自分のための未開封の炭酸水をくれたのでした。そしてたまたま知り合っただけなのに、「暑すぎて危険だから」という理由で、私の行き先まで車で行ってくれました。話してみると、その人は、私のヘブライ語の先生(数人います)の元同僚だったそうで。

非常に親切だし、臨機応変であたたかい人たちだなと思います。
Aさん、Bさん、Cさんに会うアポをとっていたら、リスケが発生して、当初予定していたAさん、Bさん、Cさんに加えて、もっとたくさんの人に会えちゃうような感じです。

イスラエルで初めて経験した柔軟なリスケ、日本で起こることがあるのかなと思ったけれども、実際、ありますね。

ICレコーダーとケーブルのこと

海外でのインタビュー録音で使ってたICレコーダー。最近再び使ってみました。パソコンとは違った感覚。タッチしても反応しない白黒のパネル、非常に新鮮です。手に持つとものすごく馴染みます。ニューヨークでイディッシュ語のクラスを受けたときに初めて買ったiシャッフルに似てるなとか、これを持っていろいろな人に話を聞きに行ったなとか、持っただけで思い出が蘇ってきます。
で、興奮してとりあえずmp3を聴いてみたのです。ヘッドフォンにケーブルをつけて聴いてみると、なんと音がすごく良くてびっくり!!しました。「ウヲ〜」とか何か叫んで、そのまま踊ったくらいではあります。
別に、お金もらって宣伝してるわけじゃないですが、どっちもSONYのです。ヘッドフォンは、家電量販店で聴きまくり、比べてから買いました。ICレコーダーは当時、値段と機能のバランスを見て、これかなというあんまり高くないもの。ちなみに書くと、スピーカーはBOSEのを愛用しています。お風呂で聴くときにも便利です。SONYのスピーカーはまだ使ったことがないのでいつか使ってみたいです。
で、話を戻すと、知り合いが口を酸っぱくして言っている「いつもケーブルで接続したほうがいい」って本当かもなと。最近、なんかパソコンでヘッドフォン使うときうまく行かなかったんですよね。Zoomでバタバタすると相手に迷惑がかかるなと思って、それから、パソコンでヘッドフォン使うときにはケーブルでつなぐようにしてます。Bluetooth接続を気に入って使っていたのに。
ずっと同じスタイルに疲れたから、たまに変えたくなるのかなとかも考えながら。

この2年

外国人の入国と日本人の海外渡航にかんする個人的な体験です。

私は3月上旬から半ばに、外務省の派遣でニューヨークとワシントンDCに行っていました。危険が迫りくる中、大事な人達に会いました。「またね!!」と言って帰国。帰りの飛行機に無事に乗れたのもギリギリだったかもしれない。そのまま世界はコロナ禍に突入。

2019年12月に行ったイスラエル、そして2020年3月に行ったニューヨークに、私の心は置き去りになってしまいました(すぐ戻る!と思っていたからです)。と思ったら、すぐにイディッシュ語とラディノ語のオンライン・ミーティングがたくさん始まって、非常に楽しくて活気ある時間を過ごしました。

私は、「またすぐ来る!」と思ってイスラエルを出国してから、なんと8年間もイスラエルに行けなかったことがあって、だから数年はなんとかなるはず!と自分を勇気づけました。
コロナ禍、夢では何度も海外渡航していますが(夫によれば、この前は寝ながらイディッシュ語で長いこと話していたそうです。夫が「イディッシュ語だってわかって(自分)すごい」と言ってました)。実際は2年も海外調査に行けてません。パスポートもいつだったか切れて(そろそろ更新したほうが良いですね)。授業でなかなか海外に行けない学生をはげましつつ、自分もそれなりに悲しい状況です。
一方で最近、友人たちが来日して、まずは家族で隔離中(友人たちの隔離期間終了して外に出られるようになったようです)。ホテルでの隔離生活、かなり参っているようです。「この2年大変だったから、新しい人生をはじめたい」という思いでの来日。隔離にいきなりびっくりしているそうです。別の友人は「日本に行った夢を見た」、「2年も海外に行っていない」とのこと。「どこのホテルに泊まろうかな」と、来日する気満々の人もいます。オンラインでずっと繋がっていたとはいえ、やっぱり会いたい。でも日本の状況がまだ海外とだいぶ違うのをどう説明したら良いのか。
私も7月にヨーロッパ渡航予定(2年延期になった学会発表)があります。正直、行きたいですが、実際の渡航はどうなることやら。家族のことも考えると、オンライン発表かなと思っています。自分が勇気ないだけかも。でもできれば行きたいです。

長崎

2月の後半に悩んだ末、念願の長崎出張を決行しました。1週間に満たない短期間で、長崎市内をいろいろ周りました。現地の研究者/活動家の方がサポートしてくださり、いろいろな方にお会いすることができました。
偶然ですが、私が行ったのはちょうど長崎の知事選があったときです。コメダ珈琲で地元の新聞を読みながら、現地の事情を目の当たりにしてかなりの衝撃を受けました。

他にもいろいろ細かい、驚くようなことがあったのですが、自分の中でも消化できず、しばらく家族などに心配されるほど、ダメージを受けていました。

そんな中、そうそうたる方々が、やさしく私のまとまらない話をきいてくださったり、状況を受けとめてくださったりして、なんとか持ち直してきました。

今思い出すと、とても気温が低く、風もあって寒かった。そんな中、多くの時間を外で過ごしたので、冷えました。でもそれ以上に、沸き立つ何かが身体や頭を巡っていました。

寒い長崎でありがたかったのは、市電、駅ビルの回転寿司、長崎ちゃんぽん(リンガーハット、空港)、コメダ珈琲長崎原爆資料館から近い)などでした。そしてなんとも人が優しい。長崎のことばもよかとばい(使い方、間違えてたらすみません)。

被爆者や被爆者の調査をしている方々が、あたたかい部屋でやさしく迎えてくださったことに感謝しています。私が長崎のことばを話せたらどれほど良かっただろうか。と思いました。
イディッシュ語の調査とリンクするところが多く、これからも行きたいです。ただこんなにいろいろなことに興味を持って、私が一体何人いたら間に合うのでしょうか。非常に難しいですが、何かしたいです。

長崎でのことを少しずつでも学んで、自分のことばにしたいと思っています。

大学時代のバイト先(某通信社)の上司が、ブログを読んでくださっているとのことで、思い切っての投稿再開でした。

イディッシュ語 翻訳 After a small talk about Togbukh fun Vilner geto

イディッシュ語の日記を翻訳しています。それに関連したレクチャーを東京外国語大学でしました。

I talked about “Togbukh fun Vilner geto” and a bit of “Rywka’s Diary,” at Tokyo University of Foreign Studies (Zoom).
In the lecture, I asked some students (high school to graduate course) to read Rudashevski’s Diary in my Japanese translation. Their voices were so powerful.
This event that these students read the Yiddish diary in Japanese and discuss about it things inspired me a lot.
In the lecture, I found a student who participated in Poland. That’s something great about online gatherings.
My activities could not happen without people’ help and interests. Thank you :)

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【1/25~2/18】ガリツィア・ユダヤ博物館 写真パネル展・オープンレクチャー・映画上映会 | 公共圏における歴史(HIPS)

『毎日あふぉうだんす』

文化人類学のフィールド調査と表現方法のお話です。

桜木町有隣堂で発見『毎日あふぉうだんす』。 横浜寿町で、日雇い労働者と多くの時間を過ごした作者トム・ギル先生(Prof. Tom Gill (Thomas Paramor Gill))。愛をもったフィールドワークと鋭い分析で、現代日本の変化や問題、かなしさを描き出します。 いろんな意味で、心を揺り動かされるような本でした。こんな風に書けたらと思いながら読みました。終わりの方は本当にジーンとしました。 思わずトム・ギル先生に突撃メッセージを書いてしまいました。本のおかげで繋がれた一例。

ぶらっと本屋に行ってみるもんですね。

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ワクチン3回目

日本では早い方かもなので、これからうつかたの参考になればと思って書いてみます。
昨日、ワクチン3回目接種してきました。接種後、オンラインミーティングとかちょっとありましたが、あとは横になっていました。2回目の時はつらくて何もできなかったけれども、3回目の後はNetflixでシリーズものをみることができました。文字とか読むのは無理でした。意識朦朧状態(これは3回目だけで経験)。食事とトイレだけは起き上がりました。2回目の時は食べられなかったので、吐き気を感じつつも食欲があった3回目はマシだったかもしれません。あとは夢の中でイスラエルに行ったり、どこかで船に乗ったりしていたようです。副反応の峠が過ぎていると良いのですが。急遽接種の予約をしたのですが、接種までの時間が結構ブルーでした。2回目の副反応のことがありましたから。まだちょっと体調不良ですけど、なんか上向きです。

ガリツィア・ユダヤ博物館 写真パネル展・オープンレクチャー・映画上映会

東京外国語大学ってどんな学校?海外とのネットワークを感じられる面白い大学です。
ガリツィア・ユダヤ博物館 写真パネル展・オープンレクチャー・映画上映会

のお知らせです。私もオンラインレクチャーで参加させていただきます。無料です〜。よろしくお願いいたします。
【1/25~2/18】ガリツィア・ユダヤ博物館 写真パネル展・オープンレクチャー・映画上映会 | 公共圏における歴史(HIPS)

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「リフカの日記」チラシ


In December 2021, I planned to read non-Yiddish writings (for example, a diary of Isabella Bird in Japan, Don Quixote, etc.) in January 2022. But soon, a chance to learn/talk about Lodz came to me. Then it makes me work about Lodz for a while. Honestly, I had known almost nothing about what happened there except the "greyness" of the city. Then I've found the book about Lodz at home. Surprisingly, it has been on the shelf since 2008! The importance of the book was evident. There are so many things to do, and they make me a bit busy and nervous. With this opportunity and help from my teachers & friends, Lodz is getting coloured in my heart.

オープンレクチャー(オンライン)
2月3日(木)18:00-19:00
赤尾光春先生「小噺と諺に見る東欧ユダヤ人の諧謔と批評精神」
2月5日(土)13:00-14:00
西村木綿先生「差し出す手、すれ違う手――クラクフにおけるポーランド人・ユダヤ人関係の史的展開」
2月9日(水)18:00-19:00
鴨志田聡子先生「ユダヤ人の主体的な記録から見るホロコースト
2月12日(土)11:00-12:00
加藤有子先生「リッツマンシュタット・ゲットーの写真家たち」
2月16日(水)18:00-19:00
鴨志田聡子先生「イディッシュ語学習活動と集合的記憶の再構築」

2/18 新刊のお知らせ『「その他の外国文学」の翻訳者』

いわゆる「マイナー言語」を翻訳する意味とは。

ポルトガル語チェコ語ってマイナー言語なの?!

白水社さんから新刊『「その他の外国文学」の翻訳者』(白水社編集部編、2022)が出ます。本屋さんで「その他の外国文学」としてあつかわれるいわゆる「マイナー言語」を翻訳している人たちのインタビューです。

それぞれの方のストーリーから、こんなに大変なことをどうやって続けているのか、スキルアップの方法、苦労、喜び、運、勉強法などを垣間見ることができます。

私の専門はイディッシュ語で、今でも毎日イディッシュ語の調査をしています。ただし、本で扱われるときは「ヘブライ語の翻訳者」その矛盾が起きるのはなぜ?

この本を「マイナー言語」、「そのほかの外国文学」を考える材料にしていただけたら。

 

序文・斎藤真理子

インタビュー

 

以下白水社ウェブサイトより

www.hakusuisha.co.jp定価2,090円(本体1,900円+税)
出版年月日:2022/02/18
240ページ

 

ぜひお手にとっていただければ。白水社の編集者さん、ご一緒させていただいたベテランの先生方、新進気鋭の先生方に感謝しています。

部分的にこちら↓でも読めます。

インタビュー「「その他の外国文学」の翻訳者」 | web ふらんす

マスクとメガネ 冬編

マスクとメガネ、冬はくもりますね。

スマホ脳』と『最強脳』を読んで、SNSやめた方がいいのかなと思ったのも束の間、ちょっと困ってFacebookで聞いてみた私です。

 

メガネのくもりを克服した方いらっしゃいますか?

コロナ禍にて、外でマスクを外しにくいです。以前から花粉症対策やインフルエンザ予防にマスクをしていたけれど、コロナ禍でこの辺はさらに大変だなと思っています。メガネのくもり。

寒い日にマスクとメガネと帽子で出かけます。
ちょっと前が見えないなあと思ってたのも束の間、寒さがましたせいか、ニット帽のせいか、くもっちゃいます。

自転車に乗った時に見えなくなったり、横断歩道渡る時に信号見えなくなったりして結構怖かったです。

コンタクトとレーシック以外に良い方法はあったら教えてください〜。とFacebookできいたら、いろんな方々がコメントを寄せてくださいました。何より嬉しかったのは、みんなと久しぶりき話せたこと。日常的な話題で、気楽なのにちょっと踏み込んだ意見交換ができたことです。

 

投稿してみての感想。

昨日SNSは良くないみたいな本を読んだんで、恐る恐るの投稿。しかも振り返ってみれば、ググればいいじゃんみたいなネタだったもしれず、恐縮するような気持ちもありました。でもよかったです!!

昔からの知り合いも投稿にお返事してくれました。大先輩でもなぜかほんとに気兼ねなく話せて楽しくて、びっくりしました。年賀状のやり取りの知り合い、ユダヤイディッシュ語のお勉強つながりの方々、さらにコロナ禍でできた新しい知り合いとは。。。この話題にコメント下さるとは〜と、嬉しかったです。

マスクとくもりどめ買って、とりあえず解決しました。散歩できてよかった〜。マスクにもメガネがくもらないと書いてあり、お困りの方が結構いるんだな〜。と心強く感じました。

マスクを本格的に自己表現に使ってみるのもいいかなと思いました。喋れる言語や好きなドラマや本を書いたり。

ベニス的なクチバシみたいなマスクもしてみたくなりました。羽もつけて鳥になるのは(ネットで話題になっていたんですね)、面白そう。ソーシャルディスタンスとろうとしたら、逆に子どもたちも寄ってきて、モテモテ。なぜかサインも求められたりして…目に浮かびます。でも、密になったりして。なぜか駅前とかで転んでそうです。怪しいです。

完全にわたしの妄想なので、意味不明だったらスルーしてください。

オルソケラトロジーで日中の視力を上げるという方法も教えてもらいましたが、お値段が。夢ですねー。モニターとかあればなりたいです。

 

シリーズ「広島に行って」3 回目 戦後やトラウマにかんする一考察

(前回の続き。乱文ご容赦)

この約20年間、ユダヤ人と一緒にイディッシュ語を学び、話を聞き、いろいろな場所を訪問してきました。 イディッシュ語を学びたい、ものにしたいという一心でやってきたことです。

そんな中、第二次世界大戦負の遺産や当事者、第二、三世代にも及ぶトラウマを見てきました。誤解を恐れずに表現すると、集合的記憶に注目するとユダヤ人と日本人の戦後は非常に似ていると感じてきました。

・建国、発展、復興の中で被害が時として社会から利用される一方で、傷ついた人々は置き去りにされ、心を封印せざるを得なかった

・当事者が話せない時間があまりに長い

・当事者激減し、記憶の継承について議論されている ・風化が危ぶまれる

・大雑把には世界的に知られている

・個々の体験は多様であまり知られていない

戦後、しかもごく最近のことですが、福島についても当てはまると思います。

さらにユダヤや日本に限らず、いろいろなところのいろいろなことについて言えるでしょう。

おととい東京外国語大学イディッシュ語のクラスは最終回を迎えました。ポグロムホロコースト、原爆、日韓関係などに話が及びました(イディッシュ語に限らず、ダイナミックな話ができるのも学生が優秀なおかげです)。

ある学生(ポグロムの研究をしている他大学の学生)が、ポグロムについて読んでいると辛くなる、ユダヤ人だけでなくロシア人もドイツ人も彼らの側の記録を読むとお互い苦しかったことがわかりなおさらつらいという話をしていました。本当にその通りだと思います。

彼女は経験豊富、かつ、いろいろな言語が読めるから、多角的に見えているのだな。と思うと、人間は才能や機会、能力に恵まれるほどに苦しみも増える(もちろん喜びも)なあと思いました。

どっちもつらかった話で思い出すエピソードがあります。前にも書いたかもしれません。私は2006-8年にエルサレムヘブライ大学にイディッシュ語の勉強と研究のために留学し、ヘブライ語の授業も受けていたんです。ユダヤ人の先生がドイツ人の学生(牧師を目指して修行していためちゃ優しい人)に「第二次世界大戦について家族はどんなことを話していたか」とききました。ドイツ人の学生は「お腹が空いていた。食べるものがなくて苦しかったと聞いている」とだけ答えました。先生は絶句。しばしの沈黙。 私が韓国語学んでいたとして。韓国人の前でこんなことがいえただろうかと何度も考えました。でも今はお互いの状況をシェアできるのは大切なことだなと思います。

そういえば高校の日韓交流で知り合った韓国人の友だちとは、しばしば連絡をとっています。彼女はとても優秀で、英語の他にフランス語を学び、さらに日本語を学び、東京外大に留学し、ソウル大学で言語を研究しているので驚きです。私が東京大学言語学研究室にいたときに彼女がソウル大学にいるとのことで、お互い言語(しかもマイノリティ言語)に取り組んでいるんだ!と舞い上がるような、うれしい気持ちになりました。

大事な人とのつながり的な部分がうれしかったのでした。