ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

輪読は燻しの時間

大学生の頃、先輩がドイツ語文学の輪読に誘ってくれて、参加していました。先生がパイプをふかしながら相手をしてくれて、2人の先輩と私の合計4人でテキストを読みました。一体誰が書いたものか覚えていないけれど、夢と現実を行き来する人のちょっとクレイジーな話でした。テキストが難しいけれど面白かったのと、私が全然うまく訳せないのにみんな優しかったということはよく覚えています。

それと、2人の先輩のうちの1人が、輪読前に一度一緒に読んで何が書いてあるか、文法がどうなっているかを教えてくれたのもよく覚えています。感謝しかないです。

輪読中の濃いパイプのにおいと煙は、輪読の課題と我々を燻しました。先輩の1人はヘビースモーカーで、学食などでも吸っていました。今でこそ副流煙でもアウトな私ですが、当時はけむいと仲間と一緒にいるという気分になれました。

大学院時代(私は別の大学に行ったのでした)の途中から、私は「時間がない」という気持ちを激しく抱くようになりました。とにかく大学院の課題と問題をこなす一方で、自分でイディッシュ語の勉強を続けました。輪読に参加できなくなりました。

輪読してくれた先生の研究室は、ビルごとなくなり、建て替えられました。

ビルが新しくなってから、学部時代からお世話になっている先生を訪ねて行きました。輪読の先生は退職されていました。喫煙所も分けられているようで、煙臭くなくなりました。

でも人はつながっているから、当時のことをご存知で私のことを覚えてくださっている先生は何人かいらっしゃって、なんかホームを感じます。

古いビルと同じ場所にある新しいビル。入るとちょっとセンチになりました。でも、もとあったビルの一階にあって、私が大好きだったタイルの芸術みたいなのがありました。そのまま新しいビルに移されていました(本当によかったです)。建築家ってすごいな、これが好きな人自分以外にもいたんだなと思いました。

数年前に、輪読の先生と近所でばったりお会いしました。号泣してしまいました。いろいろなことをとりとめもなく話したのに、長い時間をかけて聞いてくださいました。先生とはそのうち何度かばったりお会いするようになって、私はメソメソしなくなりました。

時間がいくらでもあるように感じていた時期の幸せなできごとを思い出すたびに、ちょっと涙がこぼれるのでした。

最近は、そんな場ををつくるために、自分はどうしたら良いのだろうかと考えています。でも結構忙しい毎日で、いつもどうなっているんだろうと思いっています。

そんな私ですが、今、京王線に乗ってなんかのんびりしてます。これから、高尾山に登ります。