The lecture "The Great Trajectory of a Great Yiddish Poet: Avrom Sutzkever 1913 – 2010" by Mirim Trinh (At the University of Tokyo in 2016) was translated into Japanese by Satoko Kamoshida. (And Sutzkever’s poetry was translated by Moriyasu Tanaka ans Satoko Kamoshida). It will be published soon in 2018 in the literature journal Реникса (Reniksa).
Information about Reniksa: CiNii Books - れにくさ : 現代文芸論研究室論集
イディッシュ語作家の話です。
2016年の秋に、東京大学の沼野義充先生にお願いし、ミリアム・トリン博士(Dr. Miriam Trinh, エルサレム・ヘブライ大学 イディッシュ・プログラム)を招聘していただきました!
2018年はじめに、その時の講演録の翻訳が、東京大学の現代文芸論研究室から出ます『れにくさ』に掲載されます。ミリアム博士が東大の講演の際に紹介した6つの詩(田中壮泰氏訳。大変だったと思いますが、快く引き受けてくださいました)と、早稲田の講演の際に紹介した1つの詩(鴨志田聡子訳。一つの単語が重層的な意味を持っているし、韻も踏んでいるし・・・だいぶ苦労しました)も載っています。以下に講演の要旨↓(ミリアム・トリン著、鴨志田聡子訳)を載せました。お楽しみに〜。
「偉大なイディッシュ語作家の壮絶な悲劇:アヴロム・スツケヴェル 1913(スモーゴン)-2010(テルアヴィブ)」ミリアム・トリン博士
アヴロム・スツケヴェエル(Avrom Sutzkever)は、1913年にスモーゴン(現在ベラルーシのСмаргонь、Smarhon)で生まれ、2010年テル・アヴィヴ(イスラエルの都市)で亡くなりました。彼は20世紀で最も偉大な詩人のひとりでありながら、イスラエルでもまだほとんど知られていません。なぜかというと、彼の偉大さは原作の言語、つまりイディッシュ語が読める人にしかわからないからです。皮肉なことですが、スツケヴェルを著名な詩人にしたイディッシュ語が、彼を同世代人々、そしてその土地から引き離してしまったのです。
スツケヴェルはヴィルナ(現在リトアニアの首都ヴィリニュス)で育ちました。彼の母語はイディッシュ語だったのですが、彼が通ったユダヤ人のギムナジウムはポーランド語で教育していました。スツケヴェルが文学の世界を見出したのはポーランド語を通してでした。イディッシュ語世俗文化の素晴らしさを見出したのはその後でした。
スツケヴェルは美しいものを求め、愛しました。シンボルやイメージをもとに独自のことばを創作しました。彼がその題材にしたのは自然、とくに1915年から1921年に幼少期を過ごしたシベリアの自然でした。
1941年6月にナチが旧ソ連に侵攻し、スツケヴェルはヴィルナの他のユダヤ人たちと一緒にゲットーに入れられました。彼は破壊に直面しながらも書き続けました。書くことこそが自分自身を救うのだという彼の信念は、さらに強くなりました。スツケヴェルは詩をつくることに固執したのですが、それに別の意味を持たせる必要があると感じていました。そして創作で道徳的責任を果たすようになりました。書き続けることで、犠牲者たちの記憶を生き続けさせようと。
スツケヴェルは、1944年のはじめに彼のために組まれた特殊作戦によって救出されました。ヴィルナ近郊の森でパルチザンをしていた時でした。特別なヘリコプターが送られ、スツケヴェル夫妻がモスクワに移送されました。旧ソ連の著名な詩人たちとのつながりが彼を助けました。
1944年夏にヴィルナが解放されると、スツケヴェルはそこを訪れました。荒れ果てたゲットー跡で、彼はそこに住んでいたユダヤ人たちの遺産を見つけ出しました。そのほとんどは、彼自身が隠した貴重な本やマニュスクリプトでした。彼は歴史的な遺産を集めてそれらをスツケヴェル・カチャルギンスキー・アーカイブ(Sutzkever- Kaczerginski Archive)に収めました。それらは今日でもニューヨークの東欧ユダヤ研究所(YIVO)やエルサレムの国会図書館に保存されています。
1947年9月、スツケヴェルはパレスチナに渡りました。彼は1949年にそこでイディッシュ語雑誌『黄金の鎖(Di Goldene keyt)』を創刊し、1995年にこの雑誌の最終号を出すまで編集長を続けました。この雑誌はイディッシュ語文学や文化の中心的な存在となりました。
スツケヴェルは変化しつつも、ずっと大切にしたことがあります。彼のひらめきの源、自然とそれがもつ魔力です。彼の詩は、彼自身が生涯にわたって親しんだ多様な自然の風景で満たされています。詩の中で紡がれたシンボルや景色には、異なる時期に書かれたものでさえ連続性があります。彼は詩人として、創作というものがもつ美しさと強さを大切にしていました。
過去と現在の複雑な関係を描き出す連続性は、スツケヴェルの署名にも見られます。雪です。雪はいろいろなものを表現しています。まず、彼が幼少期に見たシベリアの雪、そして1941年のヴィルナの雪です。さらに、ヘルモン山の雪でもあります。そして雪は珠玉の光も表現しています。スツケヴェルは珠玉を完璧な世界の象徴として用いています。
スツケヴェルは生涯にわたって完成された世界をテーマにし、イディッシュ語で表現し続けました。彼は外国の雪を詩にのせて密輸し、保存しました。その珠玉はヘブライの砂漠で輝き続けています。 (著:ミリアム・トリン、訳:鴨志田聡子)
この講演について
これは2016年10月17日(月)に科研費研究プロジェクト「越境と変容―グロ―バル化時代のスラヴ・ユーラシア研究の新たなパラダイムを求めて」および科研費研究プロジェクト「イスラエルのユダヤ人の言語的多様性:ユダヤに内包されたイスラームの研究」の一環として開かれた、ミリアム・トリン氏の講演です。
ミリアム・トリン氏について
ミリアム・トリン氏は、エルサレム・ヘブライ大学(イスラエル)でイディッシュ語文学および東欧ユダヤ文学を研究し、イスラエル国内外のイディッシュ語の語学講座で教えて来ました。同氏はポーランドで生まれ、ドイツで育ち、19歳でイスラエルに移住しました。主な研究テーマは東ヨーロッパにおけるユダヤ人の文学で、エルサレム・ヘブライ大学で博士号を取得しました。ヘブライ語、ポーランド語、ドイツ語の文学作品をイディッシュ語に翻訳している他、イディッシュ語の出版プロジェクトにも携わっています。
ミリアム氏と私
2006年から一年半、私がエルサレムで勉強している頃、ミリアム氏が自宅でイディッシュ語の読書会をやっていました。毎週水曜日夜の9時から12時ごろまでみんなで小説を読みました。9時から始まったのは、彼女の子どもたちが寝た後で読書会をやるためです。私もいつかミリアム氏がやっていたような読書会をしてみたいと思っています。できればイディッシュ語で、そうでなくても他の言語でもいいから・・・。彼女とその家族のことは、私の博士論文『現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動』(三元社、2014)にも書いてあります。
ということで、『れにくさ』(今原稿を校閲してます)の予告編でした。私にとって『れにくさ』に原稿を載せていただくのは一つの目標でもあったので、こういう形で実現して非常によかったです。