ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

3.11.2024(Paris) The Great East Japan Earthquake of March 11 and My Memories

For me, and many Japanese, 3.11 is a sad day and a sad number.
I know that many people suffered greatly from this earthquake, and at the same time that much is yet to be told and discovered, and that we do not know enough about what happened.
More than 10 years have passed, and I have recalled those days many times, and I feel the need to share some of these experiences with people in other countries.
Here I would like to tell you about my experience.
On March 11, 2011, I was in Tokyo and felt a huge tremor. During the shaking, I immediately "prayed" for my husband and son to be in a safe place. I am a secular Buddhist. I don't know which god I prayed to. I am not a religious person, but that was my prayer. I prayed because I thought that the earthquake, which was the biggest earthquake I had ever experienced in my life (it was so big that it was hard to even comprehend that it was an earthquake), might end my life and the lives of my family.
I was having a late lunch with other students in a large hall. We rocked like we were on a boat in a big ocean. I was scared, and I suspect others were too, but strangely everyone was calm. After a few bumps and shakes, we were all in a strange state of calm.
I tried to reach my husband. But I found that my phone was disconnected (was the connection busy?). In Tokyo, all the trains had stopped (although I heard some started moving later). I had never seen such a scene in Tokyo, where all the trains stop moving every busy day, and I doubt I ever will (I hope so). As I watched the station staff talking to the passengers who had gathered at the station, I understood that the trains would no longer be moving today. I could have been in Shinagawa. I don't believe it anymore, but I did see the top of the Tokyo Tower bent over.
I had to walk over 6 hours to get home. It was a very strange experience walking with a group of strangers. Every time we walked, we shared information and stories. Where did we feel the first tremor and where are we going home now? It was already night. One woman who was walking along the tracks with us said, "This is where I say goodbye to you," because we needed to leave these tracks and walk towards the outside of the Yamanote line. She then said to me, "You are a young woman, so be careful from here. The humanity touched my heart.
Only 5-6 hours after the first big earthquake (I don't remember much) I was able to exchange emails and talk to my husband. I was so glad that my husband and son were safe. As I was walking, I noticed that my friends from Italy and other countries were sending me messages on Facebook at the time, asking me if I was okay and worrying about me. Although I was simply happy, I could respond to some messages immediately, while others were very painful to reply to. It was only when I heard from my friends that I realized that I was in a difficult situation.

When I got home, I understood. Unbelievably, the tsunami had hit very close to my in-laws. My family was all safe but had been in a very difficult situation for a very long time. Then I learned that an acquaintance of my mother-in-law's had been hit by the tsunami, along with her daughter and her newborn grandchild. A friend of my acquaintance was a government employee and died of overwork from the paperwork after the disaster. Writing this reminds me of many things. But the year after the earthquake, in particular, and for several years after that, the memories are like one black mass and do not appear in order. I had family troubles related to the earthquake, the time when I was raising an infant, the earthquake, the anxiety over the nuclear power plant accident, and the birth of my next child all coincided, and I became very ill. On the other hand, I can use the painful experiences and observations of that time in my research. I feel very strange.

講演会「未来をつなぐ異文化の冒険:中学生のためのイスラエル&パレスチナ入門 」

日仏文化学院パリ日本人学校で講演会「未来をつなぐ異文化の冒険:中学生のためのイスラエルパレスチナ入門 」(2024/2/22)をしました。

私は現状理解と異文化理解に重きをおいて、実例を紹介しながらお話しました。

中学生たちは事前学習でイスラエルパレスチナについて学び、感じたこと、考えたこと、分からないことを寄せてくれました。講演の後にも感想文を製本していただきました。嬉しかったです。講演会の話はまた書くとして、今回海外の日本人学校で授業してみて、学校教育や言語習得(今回は母語第一言語)についていろいろ考えました。続きはまた書きます。

ちなみに、パリ日本人学校に興味のある方へ。お子様の入学や編入を考えられているなら、かなりおすすめできます。通学のこととかあるので、とりあえず一度学校に問い合わせるのが良いと思います。親切です。

NHK映像の世紀「イスラエル」

NHKのドキュメンタリー番組 映像の世紀バタフライエフェクトイスラエル」の取材協力をしました。

見逃し・同時配信 - 映像の世紀バタフライエフェクト - NHK

3月4日に放送されたこちらの番組、制作している方と一緒に映像をみて、自分も調べたりコメントしたりする中で、イスラエルパレスチナについて改めて考えさせられました。どちらの歴史も現状も複雑で、現地の状況や人々のことを深く知っている人であればあるほど、簡単にあっちがこうだ、こっちがこうだと言えない状況だと思います。

ところでパリに住んでいる私たちの代わりに、東京の拙宅のメンテナンスをしてくれている義母が、この番組をビデオにとってみて、感想を寄せてくれました。優しく勇気づけてくれて、感動しました。ぜひご覧ください。変わった嫁を持った義母の気持ちは計り知れませんが、とにかく感謝してます。

 

ユダヤ・スペイン語の合唱団

白水社ふらんす』3月号「パリとユダヤ人」

最初半年間の予定で始まった連載が、おかげさまで1年間の連載となり、そしてめでたく最終回を迎えました。

今回はパリのマレ地区でユダヤスペイン語の合唱団が活動しています。私も参加して一緒に歌を習っています。合唱団の活動で週一回顔を合わせるたびに、少しずつ関係が深まっていくのを感じます。歌の先生や参加者の優しさに癒され、それぞれの人生の奥深さに魅せられています。この前そのグループの参加者たちにインタビューしました。

ガザ戦争が続く中、パリでユダヤ人の文化活動に参加していると、彼らの間に緊迫したものを感じます。この記事ではそのことにも触れました。
応援に感謝しています。

フランスの人気漫画家ジョアン・スファール

白水社ふらんす』2月号「パリとユダヤ人」

フランスの人気漫画家ジョアン・スファールについて書きました。ユダヤ系フランス人としての複雑なアイデンティティイスラエル観がテーマ。

 

世界にいろんなユダヤ人がいるということを日本の皆様にも知って欲しいです。

 

今回ご紹介したジョアン・スファールの作品は、日本語でも読めます。帰国したら読みたいです〜。

『#プチバンピ学校へ行く』
#フレデリック・ボワレ #関澄かおる 訳
#飛鳥新社

『#星の王子さま
#池澤夏樹
#サンクチュアリ・パブリッシング

ガザ戦争前夜のパリのユダヤ人

ガザ戦争が起きる直前まで、パリのユダヤ人は様々な文化活動を穏やかに続けてきました。戦争が始まると、彼らは日々不安を口にするようになりました。

戦争前夜のみならず、10月7日のガザ戦争開戦後文化活動の様子も白水社の『ふらんす』に連載しています。

華やかなイメージが先行するパリですが、様々な視点からこの魅力ある街を見ていただき、パリとユダヤ人にさらなる興味を持っていただければ幸いです。

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ガザ戦争とパリのユダヤ人

白水社ふらんす』1月号では、ガザ戦争をテーマに、パリのユダヤ人たちを直接取材。10月下旬パリのユダヤ人はイスラエルについてどのように考えていたか?
「繰り返される反ユダヤ主義を恐れて」ではマスメディアでは取り上げられにくい少数派の視点、心の内をお届けします。

毎日パリでユダヤ人に会うといろいろな話をきくので、他のメディアでも紹介したいと考えています。お声がけください。

 

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かわさき市民アカデミー

2024年春、川崎市にて対面で講座を開きます。

パンデミック後はパリで研究しているので対面講座は久しぶりです。3月末に帰国します。

 

メディアの情報を超え、イスラエルユダヤ人のイキイキとした姿を、豪華な講師陣と連携してお伝えできればと思います。

どしどしご参加ください。


受講案内のページ
http://npoacademy.jp/f2/f2.html

本講座(エクセレントⅠ)の日程表の掲載ページ
http://npoacademy.jp/f2/bosyu-current/bosyu-current11.html

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↑かわさき市民アカデミー日程表のページより

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募集スケジュール(講座事務局より)

2/20(火)まで申込みを受付、定員を超えた場合は抽選、 3月初旬に受講決定通知送付、3月中旬までに受講料納入( 郵便局での振込)

本講座は12回で1つの講座という形で受講生を募集。オンライン併用講座の場合、受講形式は会場受講とZoomで のオンライン受講があり、申込み時にどちらか選択していだだきます。

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認定NPO法人かわさき市民アカデミー

〒211-0064
神奈川県川崎市中原区今井南町28-41
川崎市生涯学習プラザ3階

TEL044-733-5590

『約束の丘』

今日はこちらの本を紹介します。500年前のスペイン、バスク地方の実話をもとにしたお話です。

マラーノ文学・歴史叢書『約束の丘』行路社(2001)

コンチャ・ロペス・ナルバエス 著、宇野 和美 訳、小岸 昭 解説

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私はこの本について、翻訳者の宇野和美さんから教えていただいて知りました!20年前に、セファルディ系ユダヤ人や改宗ユダヤ人についてこんなにわかりやすく書かれた本の和訳が20年前に出ていたなんて。読んで大興奮しました。

本には小岸昭先生の解説(充実しているのでぜひ読んでください)がついていますが、私の視点から書かせてください。

セファルディ系ユダヤ人は、1492年前にスペインから追放されたことをアイデンティティの柱としてとても大切にしています。セファルディ系ユダヤ人は、500年前のスペインで「死ぬか、改宗するか、出て行くかを迫られた」と、うったえるような目をしながら私に話してくれます。こちらも彼らが普段押し殺している感情が、1492という数字とともに滲み出てくるのを感じます。当時ユダヤ人は、ユダヤ教からキリスト教に改宗しなければ殺されてしまうので、キリスト教徒になりたくなかったら、長年住んだその土地を離れて出ていくか、出ていかないで殺されるしかなかったと。

私がパリで会っているのは、ユダヤ教徒であり続けることを選択し、スペインから出てきた人たちの子孫です。これまで彼らから「死ぬか、改宗するか、出ていくか」だったと話をきく機会はありました。今回、少年たちとその家族の日常を引き裂くストーリーを通して、セファルディ系ユダヤ人の苦難の一部をより具体的に知ることができました。

彼らが地域社会や財産を失い、長年住んだ土地を去らなければならなかったのは理不尽です。悲しく、辛く、悔しい気持ちになりますが、最後、救いのあるお話で、新たな世界を知って、ちょっと自分も変われたような気にもなります。

大人にとってもかなり読み応えのある内容ですが、ふりがながついていて、内容が魅力的なので、読書の好きな子であれば読み進めることができると思います。ユダヤ教や歴史については少し難しく感じられるかもしれませんが、少年たちの冒険と運命に注目して読めば読破できるでしょう❗️

訳もとっても読みやすいのですが、この裏には訳語や訳文の選択や、用語の確認など、大変な作業があったのだろうなと思いました。

著者のコンチャ・ロペス・ナルバエスさんの「読者のみなさんへ」もぜひ読んでください。私もいろいろな人のお話をうかがって調査をすすめる中で、ナルバエスさんと同じように感じています。

宇野和美さんにいただいた、とっても貴重な一冊です。ぜひ多くの方々に読んでいただきたいです。

白水社『ふらんす』8月号

白水社さんに遊びに行って、出来立ての『ふらんす』をいただきました。パン屋で焼きたてのクロワッサンを食べた感じでした。

今回私はパリのショアー記念館(ホロコースト記念館)、パリで出会ったホロコーストサバイバーの家族について書きました。

「パリとユダヤ人」シリーズでは、「こんなの読みたい」というリクエストや、感想、「なんであのタイトルだったの?」という疑問などをお寄せいただいております。

興味を持って読んでくださっていると感じ、励みになっています。連載をやってよかったです。ありがとうございます❗️

それにしても8月号は、全体的にユダヤ人についてのエッセイが多い気がしました。ふたりのシモーヌ・ヴェイユについてもそれぞれ触れられていました。どちらも読みやすい文章でおすすめ!おさえておきたいですね!猛暑ですので、スイス特集を読むと、心なしか涼しくなりました(読んでる間だけ)。

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それと、こちらも白水社さんからいただいた↓『白水社の本棚』、万年筆ファンに人気が出そうな素敵な表紙で、見た目もおすすめです。

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個人的には、「ことば紀行」(マルタ語、by 長渡陽一)、「江戸の残像」(上野、by 井田太郎)、新刊紹介が好きでした。「汗牛充棟だより」(ウィキペディアタウン士別、by 木村紗衣)、地域についてのウィキペディアの項目をつくる集まりがあるなんて知りませんでした!

(以上敬称略で失礼しました)

他にもいろんな文章が載っていました。

こういうのをちゃんとチェックすると、私も知的になれるかもしれません。

猛暑の東京にいます

ブログの更新が遅くなってしまいました。以下ただの近況です。

帰国してSIMカードが変わったせいか、スマホからブログにアクセスできなくなってしまいました。

今東京にいて、夏バテ気味になりつつも元気です。とても暑いですね。帰国したら語学講座を開こうとか、部屋の片付けをしようとか、新しい本の翻訳に取り掛かろうとか色々なことを考えていました。けれどもとりあえず最近は、日々の生活をしながら、子どもの学校の保護者会や公開授業、面接などに行くので精一杯です。私の人生はここまでか、と感じて時々悲しくなりながらも、次の方向性が決まると良いなあ、どんな方向に努力できるんだろうかと考えています。

私にとって、大学時代から、「夏」といえば語学の集中講座です。海外のイディッシュ語の集中講座で、知人たちが集まって楽しそうにしている写真を見ると、日本で暑がってる自分がいまなにか間違えたことをしているのではないかと、焦りを感じます。

とはいえ、私も長い間家を留守にした分、ぶらぶらと動けない状況です。なのでオンラインの個人レッスンや講座でユダヤスペイン語イディッシュ語の勉強を続けています。ユダヤスペイン語は個人レッスンと講座で学んでいます。日々の出来事や考えたことについて、数時間話せるようになりました。文法をかなり間違えるのと、わからない単語が多いのとで、かなり熟達した話者に相手をしてもらってなおしてもらう必要があります。

ユダヤスペイン語に時間を割いていたので、イディッシュ語力が落ちるのではないかと心配して、正直かなり苦しんでいたんです。でも、イディッシュ語の方も講座を受けてみるととりあえず話したり読んだりできて、安心しました。この前、以前は発音できたのに発音できない単語があって、びっくりしました(そんなことってあるんでしょうか)。そして語順に違和感を感じることがあります。ユダヤスペイン語かぶれでしょうか。イディッシュ語も、もっとできたらいいのになと思います。正直、本当に悔しいです(涙)。

それにしても、「死にゆく言語」と言われているふたつのことばを学んでいると、語学って愛だなって思います。自分が学ぶ環境を維持するのはありがたいことなのだろうなと。その言語やそれにかかわる人たちのことを愛し続け、自分も愛され続ける必要があるなと、最近よく考えます。

実は日本に帰ってきてからフランス語を集中講座で勉強しました。ちょっとやっただけでだいぶ世界がひらけました。こんなことなら早く勉強しておけばよかったと思いました(なので迷っている方はぜひ!)。フランス語の勉強を続けたいですが、サボってます。あとは英語が下手になりました。ヘブライ語力はもっと落ちていそうで怖いです。なのでリハビリのために、何か訳したいです。

 

パリで鯛焼き

パリで鯛焼きを食べました。ユダヤスペイン語のクラスで出会った人が、ご馳走してくれました。

お店で買って公園で食べました。こんな素敵な公園で、友だちとベンチに座って話したら幸せだろうなと思っていたのは1、2週間前。夢が叶いました。

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鯛焼きは5.5ユーロでした。店の人は日本人に見えましたが、日本語は通じませんでした。全員中国人で、北海道とパリで修行したと教えてくれました。気合い入ってそうで、カッコよかったです。

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鯛焼きは結構小さいですが、本当に綺麗に作ってあり、芸術的でした。

鯛焼きはあんこ味と抹茶味があり、私は抹茶にしました。あんこは甘くないようにアレンジしてあるそうです。一緒に行った人はあんこにしていました。

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生地が硬めで甘くないフィナンシェ(角がカリっとしたフィナンシェは私の大好物です)みたいでした。5.5ユーロでまた買う日もあるかもしれません。

「もち」も食べました。「もち」はスーパーでも見かけるので流行っているのかもしれません。このもちは6ユーロもしましたが、手作りだそうです。私はなんと、おごってもらっちゃいました。

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要は、苺大福だったのですが、日本で食べたことがない美味しさ!

あんこが良い意味でパサパサしていて、ものすごく苺に合うのです!!もちはめちゃくちゃ柔らかい。赤ちゃんのほっぺたみたいでした。絶対日本でも人気が出ると思いました。ただ、900円です。あなたならどうする?

クラスメイトは「妻と戻ってきてまた食べるぞ!」と言っていました。

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平和的な時間でした。

夜中の味噌汁

昨日はフィールドワークが充実していて、本当によかったのですが、夜中まで家に帰れませんでした。今日はユダヤスペイン語だけで1日に3つもイベントがあると知りました。イベントは、どこかに行っているうちに、そこで知り合った人に別のイベントについて教えてもらうことが多いです。急なお誘いもあるので予定はなるべく詰めないようにしているんですが、結局ツメツメの日がでてきてしまいます。元気じゃないとこなせないので、健康には気をつけないとですね。

1日3回位、2時間位のフィールドワークが入ると、とても充実するのですが、時間のやりくりが大変です。昨日は最後の会が終わったのが夜の11時過ぎで家に着いたのは12時少し前でした。お昼は自分のお弁当を食べましたが、それから夕飯までほとんど何も食べられなかったので、家に帰って作ってあった味噌汁を食べました。お餅も焼いて入れました。ぶどうジュースとチーズもあってなかなかおいしかったです。

フィールドワークであったことをいろいろ思い返しながら食べていると、最後のフィールドワークでご一緒したマダムが、「ちゃんと家に帰れたおやすみ」とメッセージを送ってくれました。私もちょうどその人のことを考えていたところでした。優しさが本当に嬉しかったです。

 

パリの地下鉄

今日はパリの地下鉄で乗る方向を2回も間違えて、行ったり来たりしてしまいました。今かなりいろんな用事が重なって、頭がぼーっとしていたんだと思います。

ユダヤスペイン語の集会に出た後、セファルディの映画を見に行くところです。

地下鉄の中でお世話になっている大先生ご夫妻にばったりお会いして、行き先を伝えると、反対だよ。と教えてくれました。あまりにたまたま会ったので、用事と行き先が同じだと思いました。が、先生たちは家に帰るところだそうで。その映画には先生も出ているとのこと。世界狭すぎ。パリなのにイスラエルみたいです。

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イスラエルといえば、昨日用事があってイスラエルの知り合いに電話したんです。いつもはほとんど電話しないのですが。そうしたらその知り合いが今ちょうどみんなでお前のこと話してたんだよ!と言っていました。以心伝心でしょうか。パリとイスラエルは近いなと思いました。早く来いよいつ会えるんだよと言ってくれました。しばしばイスラエルの人からそう言われることがって、私としては心が張り裂けそうです。日本の次に長く住んだところで、フィールドワークがあるので、渡航回数は1番多いか、米国の次なんじゃないかと思います。

電話で話が解決して、楽しみにしているFrance.2のニュース番組を見たら、チュニジアシナゴーグ襲撃のことを放送していてショックでした。

こうしてブログを書いていたら、今度は乗り過ごしてしまって、20分で到着するところに1時間くらいかかって向かっています。絶対自分頑張りすぎ。ちょと休みたいです。

「『死にゆく言語』のダイナミズム」

白水社の雑誌『ふらんす』に「パリとユダヤ人」という連載をしています。5月号は「『死にゆく言語』のダイナミズム」というタイトルで、フィールドワークのことを書きました。コロナ感染体験を通して感じたことも。

不特定多数の人に向けて伝えようとすることで、自分の経験を整理できるし、自分に何が起こっているのか後でも考えられるので、楽しいです。雑誌なのでどんどん出版されていくこともあって、思い切って荒削りな状態で載せているので新鮮です。雑誌の連載は自分に向いてます。

プライバシーなどの関係で書けないことが多いですが、それでも何か伝えられたら良いなと思っています。

5月号には、パリのメトロの切符(トリコロル・パリ荻野雅代さん)のことや、フランスと日本のスーパーのレジの比較(じゃんぽ〜る西川さん)などなど、住民でも知らなかったことや、パリあるあるの面白い話が載っています。

大きい本屋さんやインターネットで手に入ります。大学や大きめの図書館にはあると思います。

読んで声をかけてくださる方々がいると、なんか励まされます。ありがとうございます。

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