ユダヤ人と言語

Satoko Kamoshida's Blog 鴨志田聡子のブログ.

イディッシュ、まず何をやれば良いのか?

去年の夏からイディッシュ語を勉強している方で、かなりイディッシュ語を読めるようになった方がいらっしゃいます。そのうちのお一方が、イディッシュ語初学者が、まず何をすれば良いか書いてくださっています。

まずは文字です。ヘブライ文字をやらないでイディッシュをやることもできなくはないですが、文字がキモです。途中で行き詰まるので、最初からやってしまった方が良いです。ひらがなとカタカナの50音を覚えて、漢字もたくさん覚えられた方々なら、きっと大丈夫です。22文字程度です。

milestone-milestone.blogspot.jp

 そのあと、すぐに

イディッシュ語|アカデミー講座|東京外国語大学 オープンアカデミー

という講座を受講していただければ、効率が良いと思われます。

もしくは、ご自分でYiddishPOPでどんどん勉強を進めていくことも可能です。

milestone-milestone.blogspot.jp

本当はもっとちゃんとご紹介させていただきたいのですが、取り急ぎサイトの紹介をさせていただきます。この方は、毎回私の授業に来てくださり、復習内容やさらにご自分で調べられたこと、感想などをウェブサイトに書かれています。

MileStone 이선희 팬: 始めの 歩 イディッシュ語の検索結果

MileStone 이선희 팬: イディッシュ語の検索結果

講師として大変感謝するとともに、尊敬しています。受講者の方に支えられて、外大のオープンアカデミーのイディッシュ語も初日からもうすぐ一年が経とうとしています。

4月からの講座は無事終わりそうです。10月から続きの講座があります。もしよろしければ夏期講座をのぞいてみてください。まだ残席があります。

東大と外大でも今イディッシュ語の授業をしているのですが、今学期で終わります。

後期はないですので、今のところ、イディッシュ語講座は、外大のオープンアカデミーのみ開講となります。

関東でイディッシュを勉強する仲間が欲しい、一人だと続かないかも、ちょっとでいいからみてみたい。という方は、まずは外大の夏期集中講座を取られるのが手っ取り早くお得だと思います。

8月いっぱいまでは時間の余裕がないのですが、9月以降は、個人・グループ向けのレッスンもしようかと考えています。ご興味をお持ちの方は、Facebook経由でご相談いただければと思います。

YiddishPOP in Tokyo

 

YiddishPOP at TUFS. I am teaching Yiddish at a few places in Tokyo and TUFS is one of them. TUFS is one of the best universities for foregin studies in Japan. During the semester we used YiddishPOP and it worked very good. Students really loved it.

The Students play with games in YiddishPOP. It was a challenge for me to use it in Japan. But we could do it!! Next class is our final class in this year. Very sad... I really want to make Yiddish annual full year course.
(געלט איז אַ פּראָבלעם זאָגט מע... ייִדיש איז נישט שטאַנדיק אין יאַפּאַן אויך.)
東京外語大の授業も残すところあと一回となりました。たくさん学んだような、もっといろいろやりたかったような、そんな気持ちです。みんなありがとうございました。

I really appreciate Brukhe! She told me how to use it! And thank you very much, team YiddishPOP!!! Please develop it vayter...

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After learning lessons some of the students try to answer some quizes in YiddishPOP.

The other students give him and her advices.

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アキ・エルシャライム(メモと雑感)

エルサレムで37年間続いていたラディノ語雑誌AKI YERUSHALAYIM(アキ・エルシャライム)の紙版がなくなったとのこと。

37歳の私としては、非常に気になる話題です。

イスラエルイディッシュ語新聞(Letste Nayes)がなくなり、雑誌(Lebns Fragn)がデジタルのみになったのも、思い出されて新聞や雑誌が好きな私としてはせつないです。子どもの頃、新聞記者になりたくて、学級新聞作っていた私ですが、そんな私ももう新聞をとってません。我が家が最後にとってた新聞は、イディッシュ語新聞(The Yiddish Daily Forward)でした・・・。

話は戻って、アキ・エルシャライムを作っていた人たちのインタビューAKI YERUYALAYIM, oldest all-Ladino magazine in the world closes after 37 years | eSefarad)。とても興味いです。作っていた人たちに会ってみたいです(でも夏はイスラエルに行けなそうです・・・泣)!

イスラエル政府が活動資金の援助を減らしたことや、読者が購読の契約を更新してくれなかったことなどが、この雑誌を作ってた人たちがもう作るのをやめた理由だという。

でも、活動資金がほとんどなくても、取材と執筆を(ジリ貧またはファンド獲得で)頑張れば、インターネットで続けることはできる(かもしれない)。

ちなみに、ニューヨーク・タイムズはデジタルで読まれている。

(日本の新聞、紙はいらないから、デジタルだけ購読させてもらいたいです・・・)

Top 10 U.S. Newspapers Ranked by Digital Circulation

ラディノ系の人たちは、ツイッターとかフェイスブックでの情報提供はしているようだから、そっちにシフトしたんだろうか。雑誌や新聞を続けて出すのに比べたら、情報があればSNSで流すという方がずっとやりやすいかもしれません。

無くなる理由は書き手と読み手の高齢化とか、ラディノ語で何かを読む人が減ったとか、もともと愛着があった言語より日常的に使っている言語の方がずっと便利だとか・・・。もっと他のところにあるのかもしれません。

そもそも新聞を読むことが減ってるというのは、日本でも同じみたいです:

新聞の発行部数と世帯数の推移|調査データ|日本新聞協会

朝日新聞、4年間で発行部数105万減の衝撃…新聞業界、存亡の危機突入へ | ビジネスジャーナル

それにしても、アキ・エルシャライムが37年続いたのは、すごいと思う。

ラディノ語のラテン文字での正書法を作るのにも、この雑誌が主導したとのこと。この辺はちょっと調べてみたいです。

 

日本に辞書作っている教授がいてその人に『アキ・エルシャライム』を送っていたと書いてあるけど、これは『ユダヤ・スペイン語基礎1500語』を作った上田和夫先生のところだと思います。作るとき、アキ・エルシャライムも参考にしたと書いてあった。上田先生、やっぱりすごいです。

 

キブツが出てくる映画

授業で話題になったので、キブツの話が出てくる映画(今思いつく限り)をメモしました。

ネタバレ防止を理由に、詳しいことは書きません(サボり)。

『甘い泥』(2006)は、かなり重苦しい内容です。家で見てそのまま動けなくなりました。

Adama Meshuga'at (2006) - IMDb

この映画には衝撃を受けました。たくさん書きたいことがあるのですが、また今度にします。映画『甘い泥』で検索すると日本語の映画批評や感想が出てきますので、ご参考までに。

考えさせられるけど、見ている時に気が重くならないのは、安楽死をテーマにした『ハッピーエンドの選び方』(2014)です。これにもキブツが出てきます。

映画『ハッピーエンドの選び方』公式サイト

エヴァ』(2016)にもキブツが出てきます。こちらは、『甘い泥』を思い出させる重苦しい映画でした。ガガーンという感じでした。みた後に隣の人と感想を話せたので、ある程度消化できました。内容が辛かったけど、無事家まで帰れました。助かりました。

第29回東京国際映画祭 | エヴァ

 思い出しただけで辛かったです。自分以外の人の苦しみは、ある程度までは想像できるけれど、それ以上はわからないことを忘れないでおこうと思います。

日本人でキブツに住んでいた翻訳家で著作家の樋口範子さんのサイトはこちら。

樋口範子の本棚

タミ・シェム=トヴの『ぼくたちに翼があったころ』は、樋口さんが翻訳しています。

学び合いという発想2

私は最近授業する側になって、教えると学ぶなあと実感しています。

あるヨガの先生が「(ヨガを)深めるために教えた方がいいよって言われて教え始めた」と言っていました。私も教えて深まっているというのを実感しています。

海外でユダヤ人とイディッシュ語イディッシュ語文学などの授業を受けてて気がついたことがあります。先生は学ぶ「場」を作っているけれど、上から一方方向に教えるという感じではありませんでした。良い授業はみんなが知識を出し合って、一緒に学んでいました。

イディッシュ語の先生には、イディッシュ語母語(生まれた時にお母さんが自分に話したことば。自分が一番最初に聞いて、話していたことば)ではない人も多いです(ヘブライ語の先生も)。逆に生徒の中には、イディッシュ語母語の人がいます。

私は、先生が「(昔)どうだったか」とか「こういうのはなんというのか」と生徒に聞くと、生徒がみんなに向けて説明してくれるという場面を見たことがあります。若手が新しい知識や考え方を披露することもあります。それがまた議論になって、別の人が発言したりしていて、授業な知識を共有する場として、機能していました。お互いがよくわかって、休み時間の話のネタもつきません。

しばしば、いろいろな人が発言して事態の収拾がつかなくなりそうになるのですが、先生たちはそこをなんとか切り上げて、次に進むことができます。授業が終わる頃は、みんな授業中に言いたいこと言ったので、スッキリ!すごい。

ただ、このやり方は、先生の人徳や力量、経験がもろに試されると思います。イディッシュの先生たちは、聴衆に選ばれた学びの場のリーダーなんだなと思います。ということで、聞く側はリーダーの育成をしているわけで、誰を育成するかっていうのが選ばれているのかもしれないです。

学び合いという発想1「学びの桃源郷」

先週の土曜日、横浜の朝日カルチャーセンターの「ユダヤの精神史」という連続講義で、「ユダヤと言語」という回を担当しました。

私が話す方だったのに、たくさん学ばせていただきました。

土曜日の午後のルミネ横浜の8階。カルチャーセンターのフロアは、たくさんの方々で賑わっていて、スタッフの方々もかなりお忙しそうです。

フロア全体から、学ぶぞ!という意気込みが伝わってきて、圧倒されました。土曜の午後に学ぶことを自ら選んでいらっしゃる。

すごい・・・。学びの桃源郷のようでした。

教室に入ると、さらに学ぶぞ!と意気込みが強く伝わって来ました。緊張感もありました。

授業では、受講生の方々が、舌足らずな私の話を一生懸命聞いてくださり、色々教えてくださり、質問をしてくださいました。教えているけど逆に教えていただくという、(後で考えてみれば)私的に理想の場でした。

(その時は必死でしたので、最初、みなさんの顔が険しかったときに私の説明が下手すぎるかなとか、途中、なんで私ばっかり話しているんだろうでも私が講師だからか・・・とか、オーディオ機器がうまく使えなくて凹んだり、いろいろあったんですが)

授業が終わってから、面白かったとフォローしてくださった方、最後のスライドに、書いたイディッシュ語の読み方と意味を聞きに来てくださった方(説明するのを忘れていました)、ありがとうございました。本当に嬉しかったです。

その後、授業をコーディネートしてくださった方(なんと、大学の大先輩でした)とお話して、企画段階で非常に練ってくださり、私が話す機会をいただいたと知りました。

私は感謝と感動で雷にうたれ、夜、興奮して、その感動を夫に話し続けました。散々喋ってきたのに、まだ喋り足りなかった自分・・・。情けないですが、止まりません。

こどもが寝る時間になりました。こどもは「おはなししたいのにママがずっとしゃべってて・・・しゃべれなかった!」と泣きながら寝ました。こどもにも私がいない間に、いろいろあったのに聞いてあげられなかった・・・。

前進しようと思います。学び合いの場がずっと続きますように。

私もイディッシュの先生のように、たくさんの意見や質問などなどが出ても、授業が無事終わる、学び合いの場を作れるように経験と試行錯誤を重ねようと思います。

ことばのこと2「そうだら、いいだら、すけそうだら」

日本語だって、場所によってだいぶ違います。

イスラエルから帰ってきてから、新潟の親戚の集まりに行きました。自分の日本語が相手に通じているのに、相手の言っていることが自分には全くわからない経験をして、「ヘブライ語より日本語の方がわからないなんて・・・」と思いました。義理の母が通訳してくれて、やっと意味がわかりました。その時、義母は二つのことばを喋れるんだなということを知りました。ちなみに義母は若い時に新潟から東京に出てきたそうです。「母強し」。
ところで、私は富士市で生まれました。小学校入学前に富士宮市に引っ越しました。心のふるさとは富士宮です。ちゃんと覚えていませんが、その頃から「〜ら」「〜だら」と語尾につけることばを話すようになったと思います。

実母は小田原市出身です。実母(ここから先に出てくる「母」は実母です)からは、小学校に入ってから、「そんなことばはやめな」とよく言われました。私は無意識で国語の教科書の日本語と私の日本語は同じだと思ってましたし、母がなんのことを言っているのかわかりません。

小田原に母の親戚がいて、たまに遊びに行くと、叔父から「そうだら。いいだら。すけそーだら」とよくからかわれました。どうしてか、悔しくて涙が止まりません。「泣くともっと喜ぶよ」と母に言われ、泣かないように気をつけても止まらない。

私は号泣しながら、「そうれ。いいけ。すけそーけ!」と言い返したけれど、「『すけそうだら』には勝てないな」ということがよくわかっていました。

言い返しのことばの迫力も足りませんでした。小田原の親戚は「いいけ」はよく言ってたけど、「そうれ」とは言わない。それを言ったら、富士宮では「いいだら」というよりは、「いいら」です!でも「すけそうだら」の迫力はすごかった・・・。

小田原の方が富士宮よりは東京に近いし、都会だし、そういう点からも「ら」より「だら」のほうがダサくて、結局何をやっても叔父には勝てないというのがありました。今から考えると、「方言話者が別の方言話者を笑う」というありがちなパターンです。叔父、大人気ない・・・(残念ながらもういません)。

こんな恥ずかしいことを私もやってしまったのでした。

あるとき、富士宮の小学生として、津からの転校生を迎えました。ここから書くことは今から考えると申し訳ないので、書きたくないです。でも誤解を恐れずにいうなら、どうしようもなかった・・・。

私たちはその子の話す日本語がどうしてもおかしく思えて、笑ってしまいました。その子が本読みで指名されると笑いをこらえるので必死でした。話していても、言っていることは全部わかるのに、アクセントが全然違う・・・。衝撃的でした。ちなみに東京からきた転校生の日本語はそんなに違わないように感じました(転校生の方は感じていたんだろうな・・・)。

中学の時に静岡県に某私立の女子校に入り、また衝撃を受けました。

その中学には、地元の静岡東部の生徒、茅ヶ崎市(神奈川)から静岡市(静岡)くらいから通ってくる生徒がいました。そこは寄宿舎もあり、東京、横浜、名古屋、長野などの生徒が住んでいて週末だけ家に帰っていました。

学校で、(静岡にある学校なのに!)いつものことばを話していたら、「『ら』つけるの可愛い」とか、「『こばっちょ』って意味わかんない」と言われました。えええーー。

富士宮の友達とは「こばっちょ」と普通に使っていたような。「はしっこ」っていう意味です。その日まで、標準語だと思っていましたよー。

確認のためググったら、富士宮に「カフェこばっちょっ」て店がありました。(しかし敷地が広そうで・・・どこがコバなんだろう。行かなければわかりません)

https://tabelog.com/shizuoka/A2204/A220401/22028402/

あと蚊に刺された時に「(爪などで)かく」と同じように使う、使う「かじる」っていうのも東京や横浜の子には通じませんでした。「かじるって、腕かじるってびっくりした」と言われ、「かじっちゃだめだよ」ってよく使うので、方言だって信じられませんでした。

続く。