ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

夜中の味噌汁

昨日はフィールドワークが充実していて、本当によかったのですが、夜中まで家に帰れませんでした。今日はユダヤスペイン語だけで1日に3つもイベントがあると知りました。イベントは、どこかに行っているうちに、そこで知り合った人に別のイベントについて教えてもらうことが多いです。急なお誘いもあるので予定はなるべく詰めないようにしているんですが、結局ツメツメの日がでてきてしまいます。元気じゃないとこなせないので、健康には気をつけないとですね。

1日3回位、2時間位のフィールドワークが入ると、とても充実するのですが、時間のやりくりが大変です。昨日は最後の会が終わったのが夜の11時過ぎで家に着いたのは12時少し前でした。お昼は自分のお弁当を食べましたが、それから夕飯までほとんど何も食べられなかったので、家に帰って作ってあった味噌汁を食べました。お餅も焼いて入れました。ぶどうジュースとチーズもあってなかなかおいしかったです。

フィールドワークであったことをいろいろ思い返しながら食べていると、最後のフィールドワークでご一緒したマダムが、「ちゃんと家に帰れたおやすみ」とメッセージを送ってくれました。私もちょうどその人のことを考えていたところでした。優しさが本当に嬉しかったです。

 

パリの地下鉄

今日はパリの地下鉄で乗る方向を2回も間違えて、行ったり来たりしてしまいました。今かなりいろんな用事が重なって、頭がぼーっとしていたんだと思います。

ユダヤスペイン語の集会に出た後、セファルディの映画を見に行くところです。

地下鉄の中でお世話になっている大先生ご夫妻にばったりお会いして、行き先を伝えると、反対だよ。と教えてくれました。あまりにたまたま会ったので、用事と行き先が同じだと思いました。が、先生たちは家に帰るところだそうで。その映画には先生も出ているとのこと。世界狭すぎ。パリなのにイスラエルみたいです。

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イスラエルといえば、昨日用事があってイスラエルの知り合いに電話したんです。いつもはほとんど電話しないのですが。そうしたらその知り合いが今ちょうどみんなでお前のこと話してたんだよ!と言っていました。以心伝心でしょうか。パリとイスラエルは近いなと思いました。早く来いよいつ会えるんだよと言ってくれました。しばしばイスラエルの人からそう言われることがって、私としては心が張り裂けそうです。日本の次に長く住んだところで、フィールドワークがあるので、渡航回数は1番多いか、米国の次なんじゃないかと思います。

電話で話が解決して、楽しみにしているFrance.2のニュース番組を見たら、チュニジアシナゴーグ襲撃のことを放送していてショックでした。

こうしてブログを書いていたら、今度は乗り過ごしてしまって、20分で到着するところに1時間くらいかかって向かっています。絶対自分頑張りすぎ。ちょと休みたいです。

「『死にゆく言語』のダイナミズム」

白水社の雑誌『ふらんす』に「パリとユダヤ人」という連載をしています。5月号は「『死にゆく言語』のダイナミズム」というタイトルで、フィールドワークのことを書きました。コロナ感染体験を通して感じたことも。

不特定多数の人に向けて伝えようとすることで、自分の経験を整理できるし、自分に何が起こっているのか後でも考えられるので、楽しいです。雑誌なのでどんどん出版されていくこともあって、思い切って荒削りな状態で載せているので新鮮です。雑誌の連載は自分に向いてます。

プライバシーなどの関係で書けないことが多いですが、それでも何か伝えられたら良いなと思っています。

5月号には、パリのメトロの切符(トリコロル・パリ荻野雅代さん)のことや、フランスと日本のスーパーのレジの比較(じゃんぽ〜る西川さん)などなど、住民でも知らなかったことや、パリあるあるの面白い話が載っています。

大きい本屋さんやインターネットで手に入ります。大学や大きめの図書館にはあると思います。

読んで声をかけてくださる方々がいると、なんか励まされます。ありがとうございます。

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また火傷してしまった話

腰の水ぶくれに回転バーが直撃し、水ぶくれが破れた日、破裂した水ぶくれに再び新しい絆創膏をはりました。背中側は鏡を見ながらでも全然上手くはれません。「高級な絆創膏を無駄にできない」と思いながら、つけたりはがしたりを数回繰り返しました。何度も粘着部分がはがれた水ぶくれのあとにくっついてはがして…痛かったです。「夫がいないと私は何もできない」と思いました。

そしてその数時間後、また火傷してしまいました。

昨晩、水の入った湯たんぽに熱湯を加えようとしたら自分の手にもかけてしまったのでした。自分が書いた記事を読んだ後のことでした。すでに出版された記事に改良の余地を見つけ、ショックと諦めを感じていたところでした。

ギャーと部屋で孤独に叫んで、とにかくまず冷やし(腰の火傷で学んだ)ました。けれども腰の低温火傷

違って熱湯がかかったのでヒリヒリ痛すぎてたまりません。1時間くらい冷やしたでしょうか。絆創膏をつけることにしました。赤く腫れて我ながら痛そう。家にあった腰用に買った絆創膏よりだいぶ大きな火傷です。

絆創膏をはるとまたヒリヒリ痛んできました。ずっと痛がっていても仕方がないので、トイレに行こうと思って立ち上がると、立ちくらみがして、このまま失神するんじゃないかと思いました。手塚治虫の『アドルフに告ぐ』を読んだばかりだったので、峠氏のことを思い出して、こんなところで倒れたらダメだ。これっぽっちのことで!と気合いを入れたところ、立ちくらみはおさまりました。トイレにいって、そろそろ寝たくなったので横になりました。ところが痛すぎて眠れません。ネットで調べたところロキソニンを飲んで良いとのことだったので飲みました。「このまま一睡もできなかったらどうしよう」と思いながら痛みとたたかっていたところ、気づくと朝になっていました。ヒリヒリもだいぶおさまっていました。それでも結構痛いです。

朝、火傷がその後どうなったか絆創膏をはがしてみると、親指と人差し指の付け根の間に、ものすごい水ぶくれができていました。破裂したら地獄だろうなと思いました。ちなみに絆創膏をはがすとき、痛いところに粘着部分がピッタリはりついていたので、ものすごく痛かったです。

↓腰の水ぶくれの話はこちら

水ぶくれが破裂した話 - ユダヤ人と言語 Jews and Languages

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水ぶくれが破裂した話

腰に直径2.5センチくらいの水ぶくれがありました。低温やけどでつくってしまったのです。水ぶくれができた当日に、大きめの絆創膏を買いに行きました。私の不注意のせいで無駄になった時間とお金を悔やみつつも、水ぶくれに絆創膏をはるとかなりホッとしました。

それからは、いつも水ぶくれとともに日々を過ごしていました。すぐに破裂するだろうと思っていましたが、絆創膏のおかげか、全然破裂しません。

シャワーをする時や仰向けに寝る時には気になっていましたが、痛くもないので忘れていました。結構な日数が経ちました。

そして今日ついに破裂しました。

地下鉄の改札の回転棒が水ぶくれを直撃したのです。水ぶくれはあっけなく潰れて中の水が出ました。

パリの地下鉄の改札口には、キセル乗車を防ぐための回転バーがあります。ICカードをタッチするとその棒を回転させることができます。

改札は日本のようにソフトではなく頑丈にできています。回転バーが当たると、日本の優しい改札扉と比べて、それなりの衝撃です。今日は回転バーを回して改札を抜けた時、棒がバシッと当たってしまいました。当たった瞬間は全然痛くなかったのですが、「まさか」と思って水ぶくれを触ると、なんと無くなっているではありませんか。しかも水も出ている。さらに一歩一歩、歩くごとにズボンの縫い目が、絆創膏の上から水ぶくれを擦って私を痛めつけてきます。それがつらいのなんのって。せっかく上手にはれた絆創膏を貼り直さなければいけない、水ぶくれのせいで汚れたズボンをまた洗濯しなきゃいけない、と思うと気が重くなりました。絆創膏は何枚かあるか失敗してもいいとして、洗濯は、今日の午前中にしてしまったのです。洗濯機の使用料や洗剤が結構高いし、順番取りとかもあるし、結構ストレスなのです。

水ぶくれをさすりながら、ズボンは手洗いしようかな、なんかブルーだなと思って家に向かっています。電車の中でこのブログを書いて…。さっき家の最寄り駅についたとき、また出口改札の回転バーで水ぶくれのところを打ってしまいました。痛かった、ちょうど良い高さ!

なんで今まで当たらなかったか分かりませんが、これからまたしばらくこれが続くのか、と思うとブルーです。

今日はパリのホロコースト記念館に行ってきました。パリのホロコーストについて、いろいろな人から聞く機会があります。かなりつらい話です。何かの形でお話しできればと思っています。

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パリの緑がきれいです

ハケティア

ハケティアというユダヤ人のことばがあります。今日はそのミーティングに行ってきました。10人くらいの集まりでした。

ロッコ出身者(パリで生まれた人も両親がパリへの移住者)がほとんどでした。ハケティアはユダヤスペイン語の一種というか亜種のようなものです。ユダヤスペイン語の標準語とは結構違います。でも一方でかなり似ています。

ハケティアはマイナーすぎるのと学習環境がないので、ハケティアの外の世界から来た人が身につけるのは難しそうです。

私は今まで身につけたユダヤスペイン語を使って彼らに質問したり、自分の考えを話したりしました。ハケティア話者の1人が、日本はウイスキーやピアノで本当にすごいから、こういうこともできるんだな。と言ってくれました。日本がだいぶエキゾチックなのだろうと思います。

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ミーティングは3時間以上続きました。2時間くらい経って、みんながことわざについて話し出したら何もわからなくなりました。

会場の半分ぐらいが盛り上がり、話はどんどん早くなっていきました。私はもうわからなくなったので、その集会が彼らにとってどんな意味を持っているかやハケティアがどんな言語なのかということを考えました。

ミーティングの後途中まで、ハケティア初心者の人と帰りました。ハケティアはスペイン語に似ている。学びたい。またこのミーティングに来るつもりと言っていました。すごく前向きだし、言語に対する好奇心が旺盛で、言語学習アレルギーとかなさそうだなと思いました。

楽しみながらやることが大事ですね。

ロッコ特有のもてなしの文化があるとのことで、主催者が出してくれたミントティーとお菓子がめちゃおいしかったです。みんなすごく優しかったし、かなり学ぶことがあったので、私もまた行きたいです。

それはスペイン語だ

毎週一回、先生とユダヤスペイン語だけで2時間話すという特訓を受けています。ずっとオンラインでやっていて、途中一回休みがあったので、今週は久しぶりの対面でした。何度も「それはスペイン語だ」と指摘を受けて言い直しするように言われました。私のスペイン語はたいしたレベルではなく、勉強もしていないし使ってもいません。スペイン語の映画や音楽にも触れることがありません。

先生と理由をいろいろ考えましたが、要は大言語の日常生活への影響はとっても大きくて、どうしても避けられないのだろうなと思いました。マイナー言語はしゃべり続けるのが難しいですね。

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↑パリの端っこで見るセーヌ川多摩川が懐かしいです

寮に帰ってから気がついたのですが、自分の向かいの部屋の人がカタルーニャ出身です。彼女はスペイン語(母語)、カタルーニャ語(教育言語)、イタリア語(かなり流暢)、英語(その次に流暢)を話します。さらに最近フランス語を学び出したところ、自分の中の言語がぐちゃぐちゃになり、困っているといっていました。私と同じだ。と思いました。母語レベルで話せる言語にも問題が起きるなんて。勉強になりました。

パリから遠足 サン=ジェルマン=アン=レー

語学をなんとか軌道にのせるために試行錯誤したり、研究の方向性を考えたりで大変です。

心をマシに保つためにサン=ジェルマン=アン=レーまで遠足に行ってきました。パリからRERのA線で40分くらいで着きました。

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駅のすぐ近くに商店街とパリを一望できる高台があり、楽です。今朝かなり雨が降っていましたが昼過ぎから止んで、無事にまち歩きができました。

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今日は研究者仲間(分野は違う)と行ったので、いろいろ話せて楽しかったです。一人もいいですが、誰かと一緒が良いですね。電車の本数も多く前回みたいに2時間待ちぼうけする事件も起きず、平和な遠足でした。

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緑が気持ちよかったです。パリより良いかもね〜。と言いつつ、結局最後はパリに戻って喧騒の中でオレンジジュースを飲んで別れたのでした。健全な遠足。

 

 

語学のスランプ

ちょっと前に語学のものすごいスランプがあって、全然うまくいかないので泣きそうになりました。ユダヤスペイン語が思ったように上達しないのはもちろん、ヘブライ語にとどまらずイディッシュ語や英語までどんどんできなくなっていくのです。フランス語は毎日きいていますが、勉強しているわけではないので別に話せるようにはならず、一体自分はどうなるのだろうと悲しくなりました。

日々の疲れとホームシックも手伝って、何者でもない自分に嫌気がさして、落ち込み、いろんな人に心配をかけてしまいました。

けれども一緒にユダヤスペイン語を学んでいる仲間が私の悩みを聞いて励ましてくれました。

いくつもの言語をかなりのレベルで話せる彼らは私から見たら天才的なのですが、いくつもの言語を学んで失敗してきた経験もあるようなのです。そういうもんだから、と慰めてくれました。

一般的に、物事をやればやるほど周りにいる人のレベルは高くなるものだと思うので、自分ができてる感じがいつまでもしないのは仕方ないですね。

スランプはやり続ける限りたまに襲ってくるものだと思うので、その辛い時期をやり過ごせるかどうかが運命の分かれ目だと思いました。

↓白アスパラガスゆでました

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先っぽがとうもろこしみたいな味で美味しかったです。

 

パリからシャルトルへの遠足3

せっかくなので、シャルトルの町の中をぶらぶら歩くことにしました。

ここまでの話は↓をみてください。

パリからシャルトルへの遠足1 - ユダヤ人と言語 Jews and Languages

パリからシャルトルへの遠足2 - ユダヤ人と言語 Jews and Languages

今日は復活祭だから、毎週日曜日そうなのか、かなりの店が閉まっていました。でも観光客がたくさんいるので、レストランやカフェお土産物屋さんは空いています。ご安心ください。

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写真が残ってないのが残念ですが、日当たりの良いカフェが多く、みんなのんびり日光浴しながら楽しく食事をしていました。
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蚤の市みたいなのもやってました。観光客相手のようですが、かなりのんびりした雰囲気です。
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古そうな建物もありました。
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人がたくさんいるところと、ほとんどいないところがありました。観光地とそうでないところでしょうか。人が多いところには、お年寄りや小さなお子さんを連れた人たちもたくさんいましたので、比較的いろんな人が観光しやすいんだと思います。
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城壁みたいなのがあります。この辺は何か変な匂いが立ち込めていました。
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私はすぐにもうパリに帰りたくなり、大聖堂の周りまで戻ってきました。どこからでもとは言わないけれども、まちのそこら中から大聖堂が見えます。
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観光客が多くて、ホテルとカフェが結構たくさんあります。パリよりずっと静かだし、町の雰囲気も良いし、ゆっくり訪れるにはいいかもしれません。

地味な 路地も気になりましたが、道路に書いてある文字がおしゃれだなと思いました。工事用のメモ書きでしょうか。

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やることもなくなったので、駅に行ったところ、衝撃的なことに2時間以上、パリへの電車がないことがわかりました。今行ってしまったばっかりだったようです。

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どうして帰りの電車を調べなかったんだろう。調べてから行動すればこんなことにならなかったのに。と後悔しましたが、特にフランスではまぁ計画してもうまくいかないことが多々ある気がするので、これはこれで良かったと思うことにしました。

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それでもう一度大聖堂までの道を上り、結局、さっき可愛いけど高そうだから入らないようにしようと思っていた店に入ることにしました。2時間快適に過ごす必要があります。座ってゆっくり日光浴しながらエスプレッソでも飲もう。と思って店の人に言うと、「あと30分でキッチンが閉まるからだめだ。もう一度店が開くのは夕方だよ」と言われました。じゃあ私は一体どうすればいいんだろうと思ったので「私は5時まで電車がなくて困っているのです。飲み物だけで大丈夫なので、いさせてください」と言うと普通に快く「店は閉めるけど、電車が来るまで座ってていいよ」と言ってくれました。そういう人は結構多いんでしょうか。

店の人は、店が閉まる直前に声をかけてくれました。お会計とトイレを済ませることができました。外の椅子はほとんど片付けたのに、私と私の周りの椅子とテーブルを残しておいてくれました。なんて優しいんででょう。

この店はコーヒーだけなら全く高くないし、何よりも店の人がかなり親切です。シャルトルの大聖堂を目指して駅から歩く途中にある赤い店です。天気が良ければテラス席がおすすめです。

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まだ電車が来るまで1時間半以上あります。こんなにゆっくりしたのにまだ時間があるなんて。普段人生を急ぎすぎてるのかもしれません。

無事に電車に乗ってパリに帰れると良いです。これ以上トラブルがなければ、パリからシャルトルへの遠足は、これで終わりです。

パリからシャルトルへの遠足2

パリからシャルトルへの遠足2 - ユダヤ人と言語 Jews and Languagesに書いたように、今日は遠足です。

その後、1時間半電車に乗りシャルトルに着きました。駅を降りて歩道橋を渡っていると、いきなり大聖堂が見えました。これは迷わなくて良いぞと思いました。

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大聖堂に向かって登って行く途中、撮影スポットやかわいいイタリア料理屋がありました。

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なんか結構テンション上がってきたかも。

でも、こういう店は、きっと観光客向けで高いから入らないようにしようとビンボッチーことを思いながら進みました。

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そう思ったのもつかの間、角を曲がるといきなり大聖堂が見えました。

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大聖堂の前には人だかりが。

で大聖堂に行ったらたくさんのステンドグラスが。私はここにシャガールのステンドグラスがあると勘違いしていたのです。シャガールのステンドグラスがあるのは別のまちだったのに。

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いきなり何かおかしいぞと言う気がしましたが、そのままシャガールのステンドグラスを探して、大聖堂の中を1周回りました。
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1周したけれども、シャガールのステンドグラスが見つかりませんでした。

「何かおかしいなと」思って、シャガール、ステンドグラス、大聖堂、フランスと言うキーワードで検索しました。それとシャガールのステンドグラスは、ランスのノートルダム大聖堂にあることがわかりました。

「めっちゃ勘違いしてきてしまったんだここに」と思いました。

大聖堂を出て、なんかもうやることないなぁと思いました。まぁでもいつもユダヤ人の事ばっかり考えているのも考えが狭くなりそうだし、今日は1日ここで観光することにしました。続く。

 

パリからシャルトルへの遠足1

今日は復活祭な上、天気がとても良いので、シャルトルという町に行くことにしました。

シャルトルはパリから1時間半くらいのところにあります。研究のこと少しは忘れようと思って行くことにしたのですが、結局ユダヤ人に関係あるところに興味を持ってしまいます。というより、どこに行くにしても何をするにしても気になってしまうのかなと思いました。

(記)↓さっきこう書いてましたけど後で勘違いだったとわかります。詳しくはパリからシャルトルへの遠足2 - ユダヤ人と言語 Jews and Languagesで。

シャルトルにはシャガールという画家が作ったステンドグラスがあります。シャガールユダヤ人で、イディッシュ語を話しました。ユダヤ人なのにキリスト教の教会のステンドグラスを作るなんてどんな気持ちだろう、行って見てみたいなと思いました。

↑これは間違いですのでご注意ください〜

パリから郊外への電車に乗りました。結構近いようですが、まずモンパルナスの駅まで行く必要があってそこが結構大きいので、ちゃんと乗れるようにご注意を。シャルトルに行く電車は1時間に1本しかない気がします。今日はパリの中を走るRERのB線が超遅れてた関係で、シャルトル行きの電車を1本逃してしまいました。「えっ?」と思ったけれども、モンパルナスの駅が結構充実しているので大丈夫でした。こういうふうに予定外の空き時間ができてゆっくりするのも、心にとって良いかなと感じました。
電車を待っている時に駅の本屋さんに行きました。こういうのって懐かしいなと感じました。前は日本でもいろんな駅に本屋さんがあって、電車の待ち時間に立ち読みしたり、本を買ったりしたのを思い出しました。日本に今はそういうのなくなった気がする、そういえば。でもフランスには(まだ)あるんだな。と思いました。モンパルナスが大きい駅だからかも知れませんが。

今シャルトルに向かってるところなのでまたレポートします。パリの真ん中から少し離れただけで、すでにだいぶ景色が変わってきました!気持ちが良いです♪

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続き↓

パリからシャルトルへの遠足2 - ユダヤ人と言語 Jews and Languages

リュクサンブール公園で思い出したこと

パリの観光名所の一つになっているリュクサンブール公園、よく使う駅と駅の間にあります。何ヶ月もパリに住んでいて、まだ1度もその駅でおりたことはありませんでした。観光でパリを訪れた時は、真っ先に行ったところの1つだったのに。昨日友達に誘われて公園の中を散歩しました。夜7時半でした。公園の中は昼間のように赤くて明るかったです。公園内に置かれている椅子に座ってのんびり日光浴をする人たちがたくさんいました。

時の流れがゆっくりに感じられて、沈む前の太陽がとてもありがたく感じられました。独特の形に刈り込まれた気がちょっとかわいそうで、外国にいるんだなと感じました。

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以前、リュクサンブール公園を訪れた時は、東日本大震災の後で、とても悲しい時でした。友人の結婚式があってヨーロッパに来ていました。震災からもう結構時間が経っていましたが、日本ではまだまだ公園で子どもが遊ぶことが心配される時期でした。なので場所が変われば、こんなに安心して公園の中を歩けるんだな。と思いながら散歩していました。

すると、椅子に座っていた人が立ち上がって、私のそばに寄ってきました。そして、「東日本大震災の後に日本人が避難所でじっとこらえている姿を見て、本当に感動した」と言ってきました。

わざわざそれを伝えてくれたことに驚きました。世界がこうして少しずつではあっても、つながっているんだなと感じました。ほんの少しずつでもお互いのことを見て、いろいろ感じて考えていくのは大事だなと思いました。

それからかなり時が経って遠いところにいる人のことが、もっと早く身近に感じられるような気がします。そんな中、いろいろなところで、戦争や戦争直前のことが起こっているのがとても残念です。お互いのことがすぐに知れるようになったから、こういうことになっているのかもしれないですが。

訃報

最近訃報が多いなと思っていたのですが、坂本龍一さんも亡くなってしまったのですね。とても残念な気持ちになりました。

実はイスラエルイディッシュ語詩人リフカ・バスマン・ベンハイーム氏も先日亡くなり、ラディノ語(イスラエルではユダヤスペイン語よりもラディノ語と呼ぶ方が一般的です)ジャナーリストのモシェ・シャウル氏も亡くなりました。みんなの精神的なリーダーになってマイノリティ言語の活動を支えてきた人々がなくなると、目標とか心のリーダーが消えていくような気がしてしまいます。

リフカ・バスマンの深い悲しみを帯びながらも力強い詩は、いつもエネルギッシュで、生きようという気にさせてくれました。実際彼女はスリムで小柄なイメージでしたが、厳しい顔立ちをしておりとても力強い女性でした。ホロコーストで家族を失ったにもかかわらず、強い精神力を保ち、詩人としてイディッシュ語ホロコーストにかんする作品を作り続けは人です。イディッシュ語の集会では彼女の周りに人だかりができて、みんなが彼女の話を聞いていました。彼女がいないところで、いろんな人が彼女の健康について心配していました。

モシェ・シャウル氏はイスラエルの公共放送でラディノ語(ユダヤスペイン語)のラジオ番組のディレクターをした他、雑誌『アキ・エルシャライム(ここエルサレム)』で長年編集長をしてきた人です。この雑誌によってこの言語の正書法が作られました。実はラディノ語の正書法は今も定まっていませんが、研究者や言語継承の活動家が自分でつづる場合は「アキ・エルシャライム方式」の方が標準的です。

私はラディノ語(ユダヤスペイン語)に興味を持つのが遅かったので、直接お会いするチャンスをつかめませんでした。大学書林から出版されたユダヤスペイン語の語彙集を作った上田和夫先生(同じく大学書林から出ているイディッシュ語の辞書や文法書も作られて、そちらで有名です)は、親しくしていらっしゃり、会われたんじゃないかと思います。先生の語彙集もアキ・エルシャライム方式を採用しています。

いろいろな人からモシェ・シャウル氏の話を聞きますが、すごく優しそうなのにとても情熱的で、ラディノ語を深く愛していたんだろうなと思います。正書法を決めるのは、研究や思い切りが必要な上、とても政治的なことも必要そうで、大変そうですが彼がそれをやり遂げたのはすごいなと思います。

他にも最近、映画とミュージカルの『屋根の上のヴァイオリン弾き』の主人公や、ラディノ語研究者、日本の有名人、近所も人が亡くなっていて、なんだか訃報が多すぎる気がします。

コロナを経てかなり疲れが出ているのかもしれません。みなさんもお身体をお大事に。私もそうします。

サマータイム

発表を機会に自分の研究を見直したり、いろんな会に出たり、デモやストライキでスケジュール変更が多くなったり、電車がなかなか来なかったりと、ややヘビーな日々でした。

フランスでは今週末サマータイムが始まるからと聞いていたんですが、すっかり忘れていました。

今朝起きたら、いつもより1時間も寝坊していたんです。共同キッチンに行くともう1人の人も寝坊したとのこと。その後、腕時計がずれているのに気がつきました。電池は日本で交換したいから今切れないで欲しいな。Apple Whatchって充電面倒だけど、頻繁に充電すれば使えるからその点便利だな。と思いながら、電池実は切れてないかも。時間ズレたのなんかの間違えかも。と思いながら期待を込めて時計の針をスマホに合わせてとっさに直してしまいました。

夕方になってやっと気がついたのは寝ているうちにサマータイムが訪れていたこと。

フランスに住んでいる人のTwitter見て気がつきました(ありがたいです)。

腕時計が、どのくらい遅れていたか覚えていないのがもったいないです。本当に電池切れが起こりそうなのか、サマータイムで1時間ズレていただけなのか分からないのです。

スマホが本当に便利ですね。

カレーをいただいてしまった。涙!いただきます‼️

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