ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

自分の聖書のこと

私が長く持っている本のひとつに聖書があります。カトリックの学校に入ったときに配られたものです。中1でした。シスターから指導されるままに鉛筆で書いた学校名や学年、名前が最後のページに残っています。

聖書はその学校で宗教の時間に読むくらいでした。それでも中高時代を一緒に過ごした聖書は馴染み深くて手ばなせず、そのまま持っています。

大学卒業後にイディッシュ語を学びはじめ、それゆえユダヤのことを学ぶ必要が出てきました。とくに旧約聖書(ユダヤ教の聖書)の知識が欠かせないことがわかってきました。イスラエルに留学した時もその聖書を持って行き、たまに読んでいました。今でもしばしば参照しています。

一方で、ここ20年数年ほぼ読む機会がなかった新約聖書。今日、用事があって見てみると、中高校時代にシスターと読んだ懐かしい箇所を発見。聖書の紙にもそれなりに触っていたあとが残っていました。イエスがいろんな奇跡を起こす箇所です。

昔はそんな奇跡が起こるかな?というところで私の考えは止まっていました。いろいろ勉強したおかげで、イメージも膨らむようになり、今はシーンを思い浮かべることができます。自分でそこに行って、人と交流してこそ、文章を読んでいても想像が広がるのかも。一方で読むこともとっても大事ですね。

それにしても、中学に入ってから20年弱で、聖書に載っている場所に本当に行くことになるとは。大学院時代に意を決していきなり留学した自分に自分でびっくりです。

今日リビングで聖書をみてたら、家族から小さな文字を見て目が痛くならないのか聞かれました。そういえば相当小さな文字。でもスマホより全然ましです。眼精疲労たまり気味の私の目に優しいのは、やっぱり紙の方です。あとはこの聖書に自分が慣れているからかもしれません。というのも、この前別の聖書(日本語)を読んだら、自分にはちょっと読みにくく感じました。その聖書もきっとよかったのですが。何十年も持っていると自分の方がそのフォント、紙、製本、そして翻訳になじみそうです。訳語にかんしては、たまに原文や英語、イディッシュ語訳が気になることがあります。

ヘブライ語、英語、イディッシュ語の聖書がオンラインで読めて、検索できて便利です。でも紙はやっぱり格別に良いなあと思いました。両方あると便利ですね。