ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

フォークソングのオンラインアーカイブ

The Ruth Rubin Legacy
Archive of Yiddish Folksongs

イディッシュ語フォークソングに興味がある方はのぞいてみてください。
ルース・レビン氏のコレクションが、東欧ユダヤの研究所YIVOのオンラインアーカイブになりました。

The Ruth Rubin Legacy highlights the renowned vocalist and scholar's collection of over 1,500 Yiddish lider (songs) performed by some of the most extraordinary traditional singers of the 20th century, including Rubin herself. The 78rpm acetate discs, reel-to-reel tapes and cassettes recorded by Rubin between 1946 and the 1970s are in the process of being painstakingly re-assembled and are made truly accessible here for the first time. Ruth Rubin's entire life's work can be found on this site: field recordings, lectures, concerts, radio interviews, videos, manuscripts and published materials.

https://exhibitions.yivo.org/exhibits/show/ruth-rubin-sound-archive/home

イディッシュと手話と人類学

去年の授業でイディッシュ語の世界と手話の世界は似ているなあと思ったので、今学期はそれを考えるのをテーマにしてみています。

今自分が担当しているイディッシュ語のクラスふたつと文化人類学ひとつ、どのクラスも受講者の皆様の発言が活発で、とても盛り上がってきました。

いろいろなバックグラウンドをもっている人が集まると、お互い全然知らなかったことを共有できてとても良いと思います。おかげさまで私もとっても勉強させていただいています。

外大のイディッシュ語のクラスはさまざまな言語を専門とする外大生、留学生、他大学(理系も。)からの学生が集まり、結構賑やかで楽しいです。こちらはYiddishPOPというオンライン教材を使っています。去年も使った教材ですが、今年はさらに細かい発見があります。

外大の社会人向け講座は、各分野の専門家の皆様が受講してくださっています。なんと興味深い配布資料を用意してくださる方までいらっしゃり、非常に充実しています。イディッシュ語の歌も歌っているんですが、いまいち自分でもわかってなかった歌を皆さんがいろいろと解読して下さいます。東京のイディッシュついにここまできたのか!と感動しています。

国立障害者リハビリテーションセンターの手話通訳学科での文化人類学の授業では、ユダヤと言語の話をしながら、ろうや手話の世界と比較して考察しています。受講している方々が手話に真剣にかかわっていることがよくわかります。私は手話はど素人ですので、皆様にその世界のことを教えていただきながら、考えを整理しています。

以上近況でした。

 

Ms. Irena Sendler イレーナさんのこと

4月19日の外大オープンアカデミーのイディッシュ語の授業で、イディッシュ仲間が、ポーランド人Irena Sendlerさんについて紹介してくれたからです。(香港で買ったという)台湾の本に書いてあったことを、彼はスラスラと全部日本語に訳してくれたのでした。大変勉強になり、本当にありがたかったです。
(彼の翻訳はすごく素敵でした。)
イレーナさんについてかんたんに言うと、たくさんのユダヤ人の子どもを救った人です。でも、彼女は別に自分がすごいことをしたとも思っていなくて、むしろ救った事実をひたかくしにして生きてきたようです。彼女の心の強さと情熱に、本当に感動しました。その後ポーランドホロコーストに関連する映画を紹介したら、涙が出てきてしまいました。

授業のことはマイルストンさんがブログでも紹介してくださいました:
(授業で歌ったYome Yomeの思い出を語る女性↓)
milestone-milestone.blogspot.jp

イレーナさんがユダヤ人を救ったことを隠して生きてきたこと、「もっと救えたのに」と悔やんでいたということを聞いて、前にテレビで見た第二次世界大戦の帰還兵の人たちのインタビューを思い出しました。仲間は死んだのに自分は生きて帰って「しまった」
と語っていました。おじいさんが心に辛い傷跡を残しながら生きてきたんだと思うと、悲しくてテレビの前で一緒に泣いてしまった気がします。
私の祖父は二人とも戦争から生きて帰ってきました。父方の祖父は、父が幼い時になくなりました。母方の祖父は無口な人で、たまに川で水浴びして(お風呂には入らなかったようです)、たまにアジアのどこかに行く不思議な人でした。でも、祖父たちのことはほとんど知らないままです。
5月にはイレーナさんの命日があり、その際駐日ポーランド共和国大使館がフェイスブックに彼女について投稿しました。ポーランド語の後に日本語が続きます。

[PL/ENG/PL] #OTD 10 lat temu zmarła Irena Sendlerowa – polska działaczka społeczna, Sprawiedliwa Wśród Narodów Świata, która ze współpracownikami z warszawskiej opieki społecznej i organizacji Żegota pomogła wielu uciekinierom z warszawskiego getta. #PL100 🇵🇱 Kiedy za jego murami Niemcy zamknęli jedną trzecią mieszkańców Warszawy, Irena Sendler i jej koleżanki – posługując się legalnymi przepustkami – pod pretekstem kontroli sanitarnych przemycały do wewnątrz jedzenie, leki i pieniądze. Po rozpoczęciu przez Niemców akcji likwidacyjnej, we współpracy z Żegotą Sendlerowa organizowała akcję ratowania dzieci z getta i ukrywania ich po aryjskiej stronie. #CzyWieszŻe po wojnie Sendlerowa dalej pomagała dzieciom? W zniszczonym mieście m.in. organizowała domy dziecka. Za wszystkie te zasługi została wielokrotnie nagrodzona, w tym – na rok przed śmiercią – Orderem Uśmiechu, międzynarodowym odznaczeniem nadawanym za działania, przynoszące dzieciom radość. #OTD 10 years ago Irena Sendler died – a Polish social activist, Righteous Among the Nations, who together with members of Warsaw social welfare circles and the Żegota organisation helped many fugitives from the Warsaw Ghetto. #PL100 🇵🇱 When the Germans walled off one-third of the residents of Warsaw, Irena Sendler and her friends – using legal passes – smuggled food, medicine and money inside, under the pretext of sanitary control. After the Germans started their liquidation campaign, Sendler together with Żegota organised a mission to save children from the ghetto and hide them on the Aryan side. #DidYouKnow that Sendler continued to help children after the war? In a destroyed city, she organised orphanages. She has been distinguished many times for these efforts including – one year before her death – with the Order of the Smile, an international decoration awarded for activities that bring joy to children. #OTD 10年前の今日、イレナ・センドレルが息を引き取りました。彼女は社会活動家、「諸国民の中の正義の人」として ワルシャワ社会保護担当部局、そしてユダヤ人支援会議「ジェゴタ」と共にワルシャワ・ゲットーで迫害される人々の救済を行いました。#PL100 🇵🇱 ドイツによりワルシャワ市民の3分の1がゲットーの壁の向こう側に閉じ込められていた時、イレナ・センドレルと彼女の同僚は合法の通行証を持ち、衛生検査という口実のもとでゲットー内に食糧、医薬品、金銭を持ち込んでいました。ドイツ軍による虐殺行為が始まると、ジェゴタとの協力のもと、子どもたちをゲットーから救出してアーリア人街側に匿う活動を指揮しました。 #DidYouKnow 戦後もイレナは子どもに手を差し伸べる活動を続けました。破壊された街での「子どもの家」の始動はそれを代表するものです。これらすべての活動に対し、いくつもの勲章を授けられましたが、中でも亡くなる1年前のOrder of the Smile(子どもに幸せをもたらす活動に対し授けられる国際的な勲章)は彼女の活動を象徴するものでした。

米国でヘブライ語

ヘブライ語だけでヘブライ語を教えてくれるプログラムのご紹介です。
この前ボストンのブランダイス大学のイスラエル学研究センター(Schusterman Center for Israel studies at Brandeis)に行ったとき、イスラエルのアラブ・キリスト教徒の研究をしているというリマさんという人に会いました。リマさんのご研究が大変興味深いのでお話していたところ、実は彼女は米国でヘブライ語を教えているとのこと。

彼女がヘブライ語を教えているMiddlebury College in the school of Hebrewへのリンク:
http://www.middlebury.edu/ls/hebrew

リマさんによれば、「日本にも興味がある人がいたら紹介してほしい。ここで勉強するとヘブライ語だけでヘブライ語を勉強できるし、受講料がかなりお得」とのことでした。私も行きたい・・・。リマさん、とてもいい人そうでした。

4/14 イディッシュ語入門 朝日カルチャー 横浜

無事終了しました。開講させていただき、本当にありがたかったです。

今日の講義をしたことで、新たな目標も見えてきて、本当に勉強になりました。受講者の方々のご質問から、ユダヤ人のことを理解しようとしてくださっているのが伝わってきて嬉しかったです。

授業のあと作家の方から本をいただき、感動しました。「これからは作者の方にサインをいただこう!」と思っていたのに、感動で有頂天になっていて完全に忘れてました。はじめのところだけ読んでしまったのですが、すごかったです。どうやったらこんなに素敵な文章を書けるんだろうと思いました。

またブログでご紹介したいと思ってます。

著者や翻訳家の方々と直接お会いできたり、仕事で交流のある方々がいろいろ本を出される環境にいられるのは、自分の仕事の本当に恵まれている点だと思います。

私がイディッシュ語やっているのも、ある本の作者に会ってしまったからなんです〜。

本ってすごい力があります。

 

【開講決定!】

ご心配おかけしましたが、無事授業ができることになりました。申し込んでくださった方々、宣伝してくださった方々、応援してくださった方々、本当にありがとうございました。

講座のレジュメを作りました。

今回はイディッシュ語の簡単な歴史と、ことばの特徴が実例をみながら理解できるように組み立てました。

普段自分は、話者について先に話すことが多いのですが、今回は言語をみながら話者像を膨らませます!

つたないところもあるかもしれません。

実は慣れない話で、質問されたら答えられるか心配してます。

こんな状況ですが、ぜひよろしくお願いします。

まだまだお席に余裕がありますので、もしよろしければぜひいらしてください。いらしたらコメント、質問してください。

 

--以前の記事----

単発のイディッシュ語入門講座があるのですが、受講者数がたりず、開講されるかキャンセルになるか危機的な状況です。一回なので、ぜひ遊びに来てください。イディッシュ語は面白くて優しくて賢くて、愛くるしいことばです。イディッシュ語の世界をのぞいてみませんか。

「ひとつのことばはひとつの人格」

トルコで出会ったラディノ語話者のユダヤ人の人から教えてもらいました。ことばというものはちょっと勉強しただけでも、新しい世界が開けて、可能性や想像力がぐんと広がります。


朝日カルチャーセンターのクラスの詳細:
イディッシュ語入門| 横浜教室 | 朝日カルチャーセンター

講座内容
イディッシュ語は、ユダヤ人の言語です。語彙や文法はドイツ語に似ていますが、ドイツ語とは違います。文字はヘブライ文字を使いますが、ヘブライ語とも違います。イディッシュ語はかつて東ヨーロッパに住んでいたユダヤ人たちの日常の言語でした。一部のユダヤ人は、欧米やイスラエルなどで今もこの言語を話しています。
 この講座では、イディッシュ語の成り立ち、構造、文字、基礎的な挨拶を学びます。イディッシュ語を学ぶと、ユダヤ人の歴史や生活、そして考え方が見えてきます。(講師記)
日時・期間 2018年 4月14日 土曜 15:30-17:00
受講料(税込み) 会員 3,240円 一般 3,888円

f:id:syidish:20180316095732j:image

Yiddish Bingo おかげさまで新学期

あっという間に4月半ばですが、皆さまお元気ですか。今年度も無事に新学期を迎えられたことを心より感謝いたします。

今学期の担当科目は、イディッシュ語(東京外語大学東京外国語大学オープンアカデミー)と文化人類学(国立障害者リハビリテーションセンター学院 手話通訳学科)です。

さて、イディッシュ語の授業では、イディッシュ・ビンゴをしました。文字を覚えるのにとても良かったです。こんなに良いものがあるなんて!!Kolya, sheynem dank!!!!

f:id:syidish:20180412192611j:image

くじびきみたいに文字をひきます。

自分のもらったビンゴのカードにくじで出た文字を見つけたら、青いおはじきみたいのを、ビンゴの表において使います。全部そろったら、ビンゴ!

f:id:syidish:20180412192813j:image

くじの札

f:id:syidish:20180412212307j:image

f:id:syidish:20180412212223j:image

ちなみにビンゴは、↓この前ニューヨークに行ったときに、Workmen’s Circleのコルヤ(イディッシュ・ビンゴ作った人)さんからいただいたのでした。
Series Kakehashi Project Jewish Researchers Program 8 - ユダヤ人と言語

 

 

 

締め切りは過ぎてからが勝負

タイトルは、かつて夫がお世話になっていた教授のことばです。たくさんの締め切りを抱え意識朦朧としているとき、このことばで夫がいつも励ましてくれます。
締め切りが私を楽にしてくれる。自分とのたたかいに終わりが来るから。そう思ってやってます。
私の恩師の「締め切りが近づいてきて、どうにもならなそうなときは、すぎる前にちょっと連絡しておくといい」というご助言を回想してみて、「締め切りというのは破るためにある」という前提にあるものなんだなと改めて感じました。
でも、大学のレポートはちゃんと締め切りまでに出して欲しいと思います。せっかくの単位を落として欲しくないです。

「しめきり」に関する世界のいろんな言い回しを調べたら、案外面白い研究ができるかもしれませんね。

私は子どものころ作家になりたかったので、「原稿の締め切り」に追われている大人たちをテレビや漫画で見て、本当に羨ましく思っていました。私が自分で学級新聞を作っていた時は、締め切りを設定して自分が締め切りを抱えていることに喜びを感じていました(付き合いで原稿を書かされた人たちは大変だったと思います。ごめんなさい)。
でも今では「シメキリ」は一家団欒のひとときに、自分の意識を宇宙をさまよわせるほどの威力をもった恐怖のことばです。

今日「締め切りは過ぎてからが勝負」を思い出したのは、今たくさんの締め切りを抱えて、しかも一部破っているからです。
昨日大きな締め切りが来週末に迫っていることが発覚し、愕然としました。

論集掲載のお知らせ

東大の2つの研究室から出ている論集に無事文章と翻訳が掲載されました。前々から是非投稿したいと思っていた論集だったのでとても嬉しいです。掲載に至るまでにたくさんの方々にお世話になりました。本当に感謝しています。

『れにくさ』(2018)東京大学人文社会系研究科・文学部 現代文芸論研究室
「ミリアム・トリン(Mirim Trinh)講演録 偉大なイディッシュ語作家の壮絶な悲劇:アヴロム・スツケヴェル1913(スモルゴン)-2010(テルアヴィヴ)」p.174-186

(↑講演内で紹介された詩の日本語訳は、田中壮泰さんがやってくださいました)
「解説:アヴロム・スツケヴェルの詩の重要性」p.187-189

f:id:syidish:20180403181637j:image

東京大学言語学論集 第39号 林徹退職記念号』(2018)東京大学人文社会系研究科・文学部 言語学研究室

イスラーム地域のユダヤ教徒 ーカイロとイスタンブルの場合」p.145-159

f:id:syidish:20180403180146j:image

f:id:syidish:20180403180142j:image

 

 

 

 

 

Series Kakehashi Project 12 カケハシとYFUについて

これまで何回かSeries Kakehashi Projectによる米国派遣について書いてきました(実はまだ続きの訪問先があるのでこれから書きます)。
「カケハシ・プロジェクト」とは外務省の日本と北米地域との交流のための事業です。
対日理解促進交流プログラムは、北米だけではなく、他の地域にもあります。北米との交流はカケハシと呼ばれていて、他の地域との交流は他の名前で呼ばれています。
詳しくはこちら:
対日理解促進交流プログラム | 外務省

日本とアジア大洋州,北米,欧州,中南米の各国・地域との間で,対外発信力を有し,将来を担う人材を招へい・派遣し,政治,経済,社会,文化,歴史及び外交政策等に関する対日理解の促進を図るとともに,親日派知日派を発掘し,また,日本の外交姿勢や魅力等について被招へい者・被派遣者自ら積極的に発信してもらうことで対外発信を強化し,我が国の外交基盤を拡充します。

ご興味のある方はぜひチャンスをつかんでください。
今回の我々の派遣は、博士課程の学生とポスドクの研究者の派遣でしたが、それは例外で、いつもはもっと若い人たちが派遣されています。

現地ではYouth For Understanding(YFU)という組織のバーバラさんことMs. Barb Kilkkaという方にとてもお世話になりました。YFUについては、高校生の留学・ホストファミリー受け入れの組織としてご存知の方も多いのでは。
詳しくはこちら:
高校生留学・高校生派遣・海外高校生受入ホストファミリー・米国コミュニティカレッジ YFU

BarbさんがYFUの歴史を話してくださいました。第二次世界大戦後にDr. Rachel Andresenという女性の呼びかけで始まったそうです。第二次大戦でアメリカの敵国だったドイツの若者をアメリカに招待し、人的交流によって両国の関係を草の根レベルからよくしようと考えたようです。彼女は1973年にノーベル賞候補になったようです。

詳しくはこちら:
History - About Youth For Understanding Intercultural Exchange Programs

その後、YFUは他の国との交流事業も行なうのですが、ドイツの次に交流したのが日本だったとのこと。日本も第二次世界大戦のとき、敵国だったからです。今では世界55カ国と交流があり、この活動に賛同する人たちがボランティアベースでホストファミリーになるなどして協力しているようです。

歴史
History
1951年 世界平和の夢を若者に託したミシガン州アナーバーのレイチェル・アンドレセン博士 (初代YFU会長)が米国国務省の委託を受けて西ドイツ75名の高校生を米国に招きYFU国際交流プログラムが始まる
1952年 米国国務省はYFUを国際交流機関として正式に認可
1958年 日本から初めて米国へ2名年間派遣
日本YFU会長に篠原亀之輔博士就任
1964年 米国から夏期短期受入高校生6名来日
1969年 米国から年間受入高校生1名来日
1975年 法人スカラシップ・プログラム始まる
1977年 YFU日本協会(任意団体)組織される

続きの年表はこちら:
YFUについて | 高校生留学・高校生派遣・海外高校生受入ホストファミリー・米国コミュニティカレッジ YFU

今回私たちの米国訪問にずっと付き添ってくださったBarbことバーバラさんは、この活動にものすごい意義を感じていらっしゃいました。
私たちがどうやったらより有意義な時間を過ごせるか、どうやってナイスに振る舞えるかなどなど、短期間にたくさんのことを教えてくださいました。
交流会で話すのをたじろいでいたり、交流会の後うまくできなかったなあと落ち込んだりすると、客観的にみてどうだったかを教えてくださり、的確なアドバイスをくださいました。
アメリカの人たちとどう接したら良いのか事細かに教えてもらえなかったら、私はいろんなところで勘違いして、今回のような充実した一週間は過ごせなかったと思います。
近づきすぎると怖がられるからあんまり近づいちゃいけないとか、意見を言わないと自分に対して興味がないんだとがっかりされるからちゃんと意見を言わなきゃいけないとか、一般的にホームパーティーではどんな会話をするものかなど基本的なことを知りました。あらかじめ知識をもってのぞめたことでだいぶ助かりました。
必ずしも相手側の常識や文化に合わせる必要はないかもしれないですが、基本的なノウハウを知っておくことは大事だなと思いました。
バーバラさんはかなり長い時間私たちに付き合ってくださって、大変だったと思います。でもいつもとてもナイスに接してくださいました。お互いの国の文化にカルチャーショックを感じて、話し合ったこともありました。ピンチに遭遇した時、彼女が私たちとどう接するかを見ることもとても勉強になりました。彼女の経験の豊富さと人柄を本当に尊敬します。
バーバラさんとの一週間を終えて、私は彼女がボランティアベースで仕事をしてきたからこんなに意義ある活動ができるのかなと思いました。
私もボランティアの精神をもてる余裕をもっていたいなと思いました。将来自分も何かできると良いです。

過越祭のラトケス Itzhak Perlman's Passover Potato Latkes (Forverts)

みなさんはラトケスをご存知ですか。もう食べたという方もたくさんいらっしゃると思います。
f:id:syidish:20180329100806p:plain
(geganvnet bild fun: http://blogs.yiddish.forward.com/no-place-like-home/
(ビデオのリンクはこのブログの一番下にもあります)

今月末からユダヤの祝日ぺサハ(パスオーバー、過越祭)が始まります。ぺサハには、酵母を使った料理が食べられません。イスラエルにいたとき、家の中から酵母を出すために掃除してました。日本の師走みたいでした。店からパンもなくなって・・・その間、いろんなところに遊びに行ったりしてマッツァというクラッカーみたいなものを食べました(正月でいう、モチみたいに、この時期たくさん食べます)。種類も豊富で、シンプルなのからとっても高級なものと色々あります。どれも美味しいんですが、ぺサハも終わりのころになるとマッツァはもう見たくないって気分になりました。

ちょっと寂しい気分にさせてしまったでしょうか。ぺサハはユダヤ人の出エジプトにまつわるお祭りです。出エジプトを忘れないようにするための儀式(かなり長時間続きます。料理はこちらを参照)で使う料理の他に、ぺサハの伝統料理というものがあります。
ここでは、東ヨーロッパ出身のユダヤ人の料理について書きます。

あの超有名なヴァイオリニストのイツァーク・パールマンは、東ヨーロッパ系ユダヤ人です。彼がぺサハ(パスオーバー)の料理についてイディッシュ語と英語で語っているビデオがあります↓。ご両親がポーランド出身だったというパールマンさん、イディッシュ語話者です(ちなみにイスラエル生まれです)。
ビデオのはじめの方で、パールマンさんはお母さんがどんなぺサハ料理を作ってくれていたのか話しています。途中から英語になったり、イディッシュ語になったりと話す言語が変わっているのにもぜひ注目してください(ちなみにこうやって話している途中に使うことばが変わることを「コードスイッチング」と言いますが、私はこれにとても興味があります。複数の言語を行き来する感覚を共有できる仲間がいるってとても素敵だと思います。ここでは途中からかなり無意識的にコードスイッチングしてるんじゃないかなと思います)。

ビデオの後半で、ルヘルさんとイヴさんが、イディッシュ語で料理教室をしてくれます。ポテト・ラトケス(ポテトパンケーキ - Wikipedia)、ぜひつくってみてください。
www.youtube.com

さて次のビデオはぺサハ・ラトケス料理教室の新しいバージョン。ルヘルさんとイヴさんがやはりイディッシュ語で作り方を紹介しています。美味しそうです。私もやってみようと思っています。
blogs.yiddish.forward.com

Series Kakehashi Project Jewish Researchers Program 9

YIVO訪問

東欧ユダヤについての研究機関YIVO(イヴォ)に行ってきました。YIVOは、イディッシュ語の研究において最も重要な機関と言っても過言ではありません。

f:id:syidish:20180323115632j:image

さて、今回はソヴィエトのユダヤ、ソヴィエトのイディッシュ語の研究で知られるNYUのProf. Gennady Estraikhと、YIVOで働いてるイディッシュ語言語学の研究者Alec Leyzer Burkoに会いにいったのでした。短い時間でしたが本当に嬉しかったです。レイザーさんとは2005年にYIVOとNYUのイディッシュ語夏期講座に参加したとき知り合って以来、事あるごとに会ってもらっています。二人ともとても面白い研究者で大好きです。

本や新聞だけじゃなくて音楽もあります。
f:id:syidish:20180323115950j:image

洋服も寄付されてアーカイブにありました。

f:id:syidish:20180323120231j:image

レイザーさん、立って作業しているなんてさすがニューヨーカーです。

f:id:syidish:20180323120248j:image

ポーランドクラクフで発行されていたイディッシュ語壁新聞の修復作業もしてる人もいました。

f:id:syidish:20180323120345j:image

YIVOは図書館も素晴らしいです。今回は時間切れでした。

そのあと猛スピードで行った先はユダヤ神学校JTSでした。YIVOからそこまでだいぶ遠かったです。やっと地下鉄に乗れたと思ったら、実は反対向きで、降りてからまたダッシュしました。ものすごい筋肉痛になったのでした。

Series Kakehashi Project Jewish Researchers Program 8

ニューヨーク Workmens’ Circle訪問

Workmen’s Circleという機関に行きました。ここはイディッシュ語の教育活動を活発に行なっています。大学やYIVOとは違って、カルチャーセンター的です。イディッシュ語に興味がある人を幅広く受け入れています。

Home - The Workmen's CircleThe Workmen's Circle

イディッシュ語教育活動の立役者がNikolai (Kolya) Borodulinさんです。私の先生でもあり、相談相手でもあります。日本でイディッシュ語の授業をやる際にいろいろ助言をしてもらっている先生のひとりです。イディッシュ語オンライン教材YiddishPOPの開発者のひとりでもあります。数年前に知り合いの紹介で知り合ったのですが、直接会うのは初めてだったんです。

f:id:syidish:20180323121508j:image

コルヤさんはイディッシュ語新聞『ビロビジャンの星』も書いています。彼がイディッシュ語にかける情熱は「すごい熱血」のひとこと!いつも励まされます。

f:id:syidish:20180323121615j:image 

コルヤさんから元気とお土産のイディッシュ・ビンゴをもらったところで、時間があっという間に過ぎていたことに気がつき、ここ数年こんなに走ったことあるだろうかというレベルの猛ダッシュでYIVOに向かったのでした。(浦島太郎もそんなだったのでしょうか)
ちなみにコルヤさんはロシア極東のユダヤ人地区ビロビジャンのご出身です。コルヤさんが住んでたと考えると、お隣のロシアが身近に感じられて嬉しいです(アメリカもお隣ですけどね)。ところでビロビジャンについては、共同通信の記者の小熊さんの記事があります。とても興味深いですのでぜひ読んでみてください!

【伝える 訴える】第45回(ロシア)

Series Kakehashi Project Jewish Researchers Program 7

「さすがニューヨーク、雪どけも早い」

何年も前、NHKの朝のニュースで「さすがニューヨーク」と言いながら有働キャスターがニューヨークの文化を紹介するコーナーがあったんですが、ニューヨークって本当にさすがですね。

f:id:syidish:20180325162541j:image
大雪の翌日、ニューヨークの街は朝から動き出していました。雪かき車も出動し、だいぶ勢いよく走っていました。道路もあったかくなって雪を溶かしちゃうみたいです。雪に対してとても強いんですね。

f:id:syidish:20180325162634j:image

あの大雪があっという間に溶けたのを見て、ニューヨーカーのすごさを感じました。せっかちともいうかもしれないです。江戸っ子でしょうか。

大雪の日は多くの人が仕事が休みになったみたいで、その分のしわ寄せが翌日に来たみたいです。知り合いのニューヨーカーたちは皆さん超忙しそうでした。

皆さんご存知のことだと思いますが、アメリカも場所によってだいぶ人のメンタリティが違うようなのです。今回ボストンのあとニューヨークに行ったので、ニューヨーク の人たちがとにかく忙しそうで、テンポが早いと感じました。
ボストンの方が時間の流れがゆっくりしていて、人も穏やかに感じました。ニューヨーク では、別れ際のあいさつもほどほどに、または全くなく、相手がいきなりいなくなっていることも多かったです。
13年くらい前に東京からニューヨークに来たときは感じませんでした。今回ニューヨーカーが忙しそうだと感じたのは、ボストンを経由したからかもしれないです。
せっかく雪がたくさん降ったのに一面真っ白の光景が見えないのは残念でしたが、セントラル・パークはきれいでした。

f:id:syidish:20180325162910j:image

充実したカケハシ・プロジェクトなだけにかなり駆け足でしたので、結構疲れも溜まっているときでした。きれいな公園の景色を外から数分眺めただけですが、だいぶいやされました。

 

 

Series Kakehashi Project Jewish Researchers Program カケハシ・プロジェクト 6 みんなの笑顔

We are usually very busy and serious when we are together in Japan. But I saw we look very happy in photos here. I was so surprised. So that I put our pictures in chronological order in my blog.

レポートのための写真の整理をしていて、みんなの表情がどんどん明るくなっていくのに気がつきました。
ボストンに超疲れてついてこの笑顔。
March 18th, 2017
f:id:syidish:20180322120817j:plain
一晩寝て(と言ってもあんまり眠れなかったということなんですが)。
ボストン日本領事館を表敬訪問して、在ボストン日本国総領事 道井緑一郎(いちばん右)と。たくさんお話を聞いていただきました。
March 19th
f:id:syidish:20180322120830j:plain
さらにブランダイス大学に行ってとてもあたたかく迎えていただきました。
March 19th
f:id:syidish:20180322115403j:plain
ボストン美術館の写真は特に嬉しそう。
March 20th

我々は普段は研究の用事があるときに会って真面目な話や、深刻な話、もしくはブルーな相談をし合うことが多い仲間なんです。このメンツでこんなにはっちゃけたのははじめてのことです。海外で認められた村上さんのアートの力もあったかも。ありがとうございました!
March 20th

Series Kakehashi Project Jewish Researchers Program カケハシ・プロジェクト5 ニュージャージーで雪

3月22日、ニューヨークは超すごい嵐になるという予報で、マンハッタンで予定されていた全てのミーティングがキャンセルされました。

ファシリテーターさんがいろんなところに電話したりメールしたりして、最後まで調整してくれましたが、結局お天気には逆らえませんでした。こういうことってあるんだなって思いました。
我々はホテルのあるニュージャージーにこもって、ほぼ一日中(それか1日の8割くらい)ミーティングしてました。

今日キャンセルになったミーティングがオンラインでできないかと期待したんですが、それもかなわず。
雪で学校も美術館も休み、仕事も休みになるところが多いみたいです。子どもがいる人は、学校や保育園が休みで家にいる子どもの世話をしなきゃいけません。ということで、雪でこもっているからといって相手の都合がつかないようです。東京でも、雪の時は休みになるといいなと思いました。
ミーティングの合間に雪だるまを作りました。山本くんがうまく丸い玉を作りました。私のはどうしても四角くなってしまいました。そして、一番上に青木さんが作ってくれた玉をのせました。目をつけようとした私が、青木さんの玉を落として壊してしまいました(向かって右)。申し訳ないことをしてしまったのですが青木さんは寛大でした。

仕事が休みになるところが多いということですが、宿泊先のホテルの従業員の人は今日も来ていました。ここまでどうやって来んですかとか聞いたら、自分で車を運転したんだよとのこと。その人たちが帰れるのかなと心配したけれど、夜には雪は少なくなってましたので大丈夫でしょう。道路があったかくなるらしく、どんどん溶けてました。