まだこの本が出版されたばっかりで本屋で平積みになっていた頃(十年以上前)に読んだのですが、一気に立ち読みしてしまいました。一巻を立ち読みした後で、また二巻も立ち読みしました。おもしろかったです。
私にとってとっても印象に残る本でした。細かいことは忘れてしまいましたが、主人公がパーティーで誰と一緒にいればいいかとか、どうやったら外国で洗濯バサミを売りさばくことができるか考えて入るシーンをこれまで何度も思い出しました。
主人公がパーティーで誰と一緒にいればいいか、その答えは、偉そうなおじさんではなく、人をたくさん紹介してくれそうな人。だったように記憶しています(ちゃんと読むために本買った方がいいかも)。
コミック ユダヤ人大富豪の教え(1) アメリカ旅立ち篇 単行本(ソフトカバー) – 2005/9/5 本田 健 (著), 今谷 鉄柱 (著)
以下、この本と直接関係ない話なんですが、
私はユダヤ人の人は人との繋がりをとても大事にする人だと思います。
初めて出会った時、その相手を知るために、この人と自分がどの人と共通の知り合いかというのを話題にするのが身についている気がします。それで何人か人の名前を言っていくと、結構知り合いの知り合いだったりすることってあります。そうすると、ああ、そうか、じゃあこの人知ってる?とまたさらに共通の知り合いが出てきます。そうこうしているうちにお互いのことがわかってくる。その人とその人と知り合いなら、この大学でしたかとか、こういうことに興味がある人ですかとか。
イスラエルにいた時よくありました。道端であった知らない人でも、結構共通の知り合いがいたりするんですよね。あの人とは同級生だけどとか、その時こういう人もいて、(「ああ、その人、あのメガネかけて髪が長い人?今私の同僚だよ」とか合いの手が入る)その息子が・・・。とか。そういう繋がりと繋がりをくっつけると、結構大きな繋がりになるんですよね。ネットワークってこうやって作られていくんだなって思いました。
日本では割とあんまりよく知らない人とは無難な話題が好まれます。「今日は寒いですね」とか「趣味はスキーです」とか。でも、こういう話題は、無難な繋がりを維持するのにはいいかもしれませんが、相手と自分を強く結束する繋がりがなかなか見えてきません。(別に無難な話題を批判しているわけじゃないです。細く長くも一つのやり方だと思います)
ちょっとFacebookのことを思い出してみてください。初めて友達申請がきた人でも、その人と共通の友達が何人かいれば、この人は、自分とこういう系の繋がりを持っている(潜在的に)人なんだなってわかります。逆にぜんぜん共通の知り合いがいないと、本当に初めましてになるんですが。まあそれでもなにかしらで繋がったり、繋がっていったりします。
Fecebook上でその人が、自分も割と興味ある複数の話題で「いいね」しているのを見ると、ああ、結構自分たちは近い関係なんだなと思ったりします。
リアルでも、私の場合だと、シンポジウムとか研究会とか学会とか、近所の小児科とか花屋とか、駅とか、道とか、図書館とか、何度もいろんなところで会う人っています。はじめましての挨拶は一応したものの(または全くしないまま)名前は覚えられてない人・・・。三回ぐらい会ったところで、やっと今なら覚えられそうな気になって、失礼ながら改めてお名前うかがったりってことがあると思います。(でもまた忘れちゃう時があります。泣)