ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

Moishe Nadir(ミシンとメシア)

モイシェ・ナディールの短編集『太陽の下で』(Unter der zun אונטער דער זון)に、ミシンを待つ人のお話があります(pp.36-37, p.50)。タイトルを見ると「メシア(救い主)が来る」ようですが、メシアのという単語は本文にはありません。内容は、地方の人がウィーンの業者にミシンを注文したけれども、なかなか届かなくて、ずっと待っている話。送られてくるはずなのに、まだ来ないのか。寝ても覚めても、ミシンのことが気になってしまいます。「救い主」"משיח (moshiyekh)" と「ミシン」 "משין (mashin)" をかけていそう。ミシンが来れば(届けば)救われるという気持ちが、メシアが来れば…という気持ちと重なります。「ミシンが来たら(なんとかなる)!」めっちゃ頑張って働いて稼ぐぞ!と、働き者です。
作品を読みながら「〇〇が来れば救われる!」みたいな気持ち、なんか覚えているな。Apple製品だったよな…と思いました。そういえばむかし夫と2人で思い切って iPhone を注文したとき、「新しい iPhone を手に入れれば、きっと(イディッシュもっと読めるようになるぞ)!」と思った気がします。ソフトバンクの店で予約して、順番待ちになって、夫と2人でずっと待っていました。連絡が来て、取りに行って、あの箱を開ける興奮…「オオォ!」、懐かしいです。
ちなみに、iPhoneではキーボードが表示されるのでイディッシュ語ヘブライ文字)が打ち込みやすいです。