東大の市川先生方がやってらっしゃる遺跡発掘系の研究です。去年聞きに行きましたがいろいろ面白かったです。出土したお金でいつ頃の遺跡かわかるらしいです。色々すごそうなものが出てるみたいですよ!私も行きたいな。。。
発泡剤とバリウム
健康診断でした。最大の難関はバリウムそしてそれに続く胃の撮影です。
昨晩9時からプチ断食しているのもこのためなのです。
会場では私の前の人は発泡剤がどうしても飲み込めず、すごく苦しそうでした。
その人の声が聞こえてきます。発泡剤はともかく、迫りくるバリウムの恐怖を感じました。
発泡剤飲み込み用のブースには、いやし効果がありそうな、
いわゆるヒーリング・ミュージックが流れていました。
そのおかげで、緊張や恐怖もやや緩和されました。
こういう音楽って本当に効果あるんだなと思いました。
今訳してるヘブライ語児童文学では、音楽の大会のことがでてきます。
「あの主人公もこんな気持ちでステージに立ったのかな」なんて思いました。
(今月はこれにかける時間が多いので、この文章の調子が作品と似てきます)
発泡剤というのを口に入れてから、それをちょっとのバリウムで流し込むようにとのこと。
保健師さんが私の隣でじっと見守ってくれました。
「ゲップは検査が終わるまで我慢してください」
と言いながら。
噂では最近のバリウムは「だいぶおいしくなっている」と聞きました。
安心していましたが、バリウムのコップは持ったときにだいぶ重かったです。
やっぱりバリウムだな。
紙コップに入ってるくせに半端ないその重さからも牛乳じゃない、これはバリウムだ。
もう自分へのごまかしはききません。
「いよいよ、始まったぞ、始まったんだから、あとは終わるだけ」
自分にしてはいさぎよくて、かっこ良かったと思います。
発泡剤を飲み込むと、次は撮影ルームに移動です。
撮影といっても、胃の撮影です。マジでやらないと。
バリウムを片手に持ちながら、重くて厚い扉の向こうに入っていきました。
撮影ルームには、動くベッドみたいなものが立って、私が乗るのを待ってるはず。
かつての「ルーレットマン」↓を彷彿させます。
www.youtube.com
といっても、レントゲンの「ベッド」は、かわいい黄色をした、もっと真面目な長方形の台でした。
「ついにのぼるんだな」
気持ちを強くしてバリウムと進みました。
「今、ここ」と向き合うだけ。
胃の撮影は放射線技師がやってくれることになってます(まだこういった検査をやったことがない人のために補足しとくと)。
放射線技師は、撮影室のガラスの向こうにちょうどラジオのDJみたいに座ってます。
こっちを見て、ガラス越しにマイクで優しい声で指示出ししてくれます。
技師の指示に従ってバリウムを飲み込みました。
(最後の一口が苦しかった)
バリウムのコップを横にあったゴミ箱に投げ捨て、
「よし!行くぞ」
って思いました。
いよいよです。
「ルーレット、スタート!」
って心のなかで叫びました。
技師の声は優しくていやされたんですが、実は聞こえにくかったです。
「もっと大きな声で言っていただけませんか」
とはいえませんでした。
胃の撮影がつつがなく終了しますように。
そのきっとすべては彼にかかっているのです。
だから彼からの連絡をとにかく注意深く聞きました。
「はい、ベッドの上で一回転してください」
(といっても硬い。一回転はバク転ではなく、寝返りみたいな感じです。こうやって動くことで、胃の壁にバリウムを塗りつけます。まだやったことない人のために言っておくと。)
「左側に向いて、はい、もうちょっと正面」
私には見えてないが彼にはきっと見えてるだろう私の胃。
ベストの状態で撮影されるように注意をはらいます。
「今度は右です。もうちょっと正面向いてください、はい、いいですよ」
聞こえにくい技師の声。
それに集中しようとしているうちに、それがどこか遠くからの声のように思えてきました。
「また右にぐるっと回ってください」
一日経った今となってはもうちゃんと覚えていないけれど、こんな感じだったと思います。
去年は悲劇が起こり、検査の途中で新しく用意された追加のバリウムを飲むはめになりました。
今年はそれだけは避けたい、私は技師との共同作業に必死でした。
結構途中きつい体勢もありました。
「ハンドルに捕まって自分の身体を支えなければ、あの、安全ストッパーがあるところまですべってしまう!」ってくらいに頭のほうが低く下がっていきました。
筋力不足の私は、「おばあさんになったらこの検査できるかな・・・」と思いました。
最後の一枚を撮影する瞬間、大きなゲップが出てしまいました。「大丈夫だったんだろうか」
きっと技師には私の胃が見えているんだから大丈夫だろう。
追加のバリウムや発泡剤への恐怖をかき消しました。
「はい、終わりです」
技師の声でした。
保健師さんが撮影室から出るように促してくれました。
「終わった。終わったんだ」
やり遂げた気がしました。
その後採血がありましたが、全然だいじょうぶでした。
(去年はさしても血がなかなか出なくて、すごい痛い思いをしたんですが、今年は大丈夫でした)
良かった。やった、やったよ・・・。 続かない。
4/14(土)朝日カルチャーセンター 毎週語学の授業はまだちょっと、という方へ!イディッシュ語入門
語学はちょっと・・・という方、おためしでイディッシュという方、なにそれ?!という方へ、朝日カルチャーセンターでイディッシュ語入門の授業をしますのでぜひいらしてください!イディッシュのこと好きになっていただけると良いです。よろしくお願いします!!
詳細はこちら:
イディッシュ語はドイツ語じゃありません!
最近、「ドイツ語とイディッシュ語はほとんど同じなんでしょ」と数人から言われました。違います。ツイッターやフェイスブックでもイディッシュ語が「ドイツ語の一方言」扱いされたことで炎上してたらしいです。今週ぶらっと行った複数のところでそれが話題になっていました。二つは違う言語です。聞いて読んで喋って書いて、訳して...と、実際いろいろと使っている人には違うってことがよくわかります。
どうせ同じなんでしょって思っている方は、それなりにはご興味をお持ちだと思いますので学んでみてください。生きたイディッシュ語に触れると、考え方も変わり、新しい世界が見えてきますよ!あと、楽しい仲間もできます。人生豊かになりますし、ほかのことば、自分のことばのことも見えてきます!
それにしてもイディッシュ語で炎上するほど注目されているんですね。2年間頑張って外大と東大で教えた甲斐があったってもんです!嬉しいと思っておきます。
ことばは生きています。どんなことばもみんな大事です。大切にできるといいですね。
『クザリ』――文学・哲学的創造とその伝承
今日はこちらの↓シンポジウムに向けて東大で『クザリ』の読書会をしました。『クザリ』はユダヤ・アラビア語で書かれたんですよ。われわれはヘブライ語、英語、ドイツ語で読んでます。
スペイン、イスラム地域のユダヤ人、ハザール人などにご興味がある方はどうぞシンポジウムにいらして下さい。
■科研費特別シンポジウム
『クザリ』――文学・哲学的創造とその伝承
日時:2018年3月10日(土) 13:00-18:00
会場:東京大学本郷キャンパス 法文1号館 219教室
プログラム:
13:00-13:15 趣旨説明
13:15-14:00 根本 豪 (エルサレム・ヘブライ大学修士課程)
「理性の前の宗教 クザリとその射程」
14:00-14:45 飯郷 友康 (東京大学非常勤講師)
「近世におけるクザリ受容の一例」
(休憩)
15:00-15:45 長塚 織人 (東京大学博士課程)
「ユダヤスペイン語文学における対話と弁証
――アブラハム・カポンの親スペイン的小
品を例に」
15:45-16:05 コメント① 山城 貢司(日本学術振興会特別研究員PD)
16:05-16:25 コメント② 向井 直己(京都大学特定研究員)
(休憩)
16:45-17:45 全体討論
「ドイツ語から見たイディッシュ語の特徴」by上田和夫先生
イディッシュ語のクラスを受講される方から、「ドイツ語とイディッシュ語を比べたい」というご要望がしばしばあります。私は比べるのがあんまり得意じゃないですので、長年イディッシュ語を研究されてきた上田和夫先生の論文「ドイツ語から見たイディッシュ語の特徴(1), (2)」(福岡大學人文論叢)をご紹介しようと思います。
これらの論文は↓PDFになっています。下のクリックすると、いきなりダウンロードできます。
(2)の冒頭の引用はかなりインパクトあります。例文は今の口語のイディッシュ語と違うものもあって、出典に興味があります。イディッシュ語も他の言語と同様、時代や地域、話者集団(その言語を話す人たちのグループ)によってだいぶ違うので。引用というより話者に聞いたんだろうか。いずれにしてもドイツ語とイディッシュ語の比較をさらっとしたい方におすすめです。
「ドイツ語から見たイディッシュ語の特徴(1)」by上田和夫
https://fukuoka-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=990&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1&page_id=13&block_id=39
「ドイツ語から見たイディッシュ語の特徴(2)」by上田和夫
上田先生が研究に使われた超貴重なイディッシュ語の本や雑誌の一部を譲り受けました。それを見ると先生が非常に真剣に丁寧に文献研究をされたということがよくわかりました。私が上田先生に初めてお会いしたのは、2011年に博士論文を書いたあとでした。上田先生もその頃大学書林から『イディッシュ語辞典』を出されて(イディッシュ語研究が日本でなされていることが話されるときにいつも引き合いに出される世界的に有名なガチな辞書です)、出版記念の講演をされた時でした。
初めて会った瞬間、お互いにイディッシュ語が大好きなことがわかりました。上田先生は当時九州にお住まいで、私は東京で、それまでは手紙でやりとりさせていただいたのです。直接お会いして、物理的にも精神的にもなんだか急に距離が縮まったのを覚えています。
上田先生は文献研究が中心、私はフィールドワークが中心ですので、研究手法も全然違うのですが、事実に基づきイディッシュ語の世界を探究する姿勢が同じことを知りました。上田先生からいただいた本や、共通のユダヤ人の知り合いから聞いた話でそれがよくわかりました。
ある言語の研究にかかわるとき、私は話者の世界観を学びそれを尊重することは非常に大事だと考えています。その言語の所有権は、彼らにあるのですから。
3月27日ポスト=トラウマ時代:イスラエルと日本
山城さんより講演会のお知らせです。山城さんは当日解説・翻訳者をされます。彼によれば、テーマはトラウマと文化に関するもので、ホロコーストや「戦後」の問題も扱う予定で、関連分野は、社会学・心理学・歴史学・哲学あたりだろうかとのことです。アタリア先生はまだお会いしたことがないので知らないですが、山城さんは優しいし、とっても面白い方です。イスラエルやユダヤのことに大変お詳しいです。
以下、講演会のお知らせより引用です:
東海大学文明研究所・公開講演会 2018 年 3 月 27 日 15:30~17:20
「ポスト=トラウマ時代:イスラエルと日本」
ヨハイ・アタリア(イスラエル,テル=ハイ・カレッジ上級講師)通訳・解説:山城貢司(日本学術振興会特別研究員 PD/東京大学)
講演要旨
本講演の第一部では、今日我々が生きている社会を「ポスト=トラウマ的社会」と定義で きるかどうか明らかにしたい。この論点の検討において、日本とイスラエルは、決定的な 位置を占めていると思われる。「アウシュヴィッツ」と「ヒロシマ」−−それが起きたこと で、「人間」の概念が意味を失ってしまった「出来事」−−は、各々独自の仕方で、文化の 中のブラックホールを形成している。続いて講演の第二部では、「行動化」と「徹底操 作」という二つの基礎概念に焦点を定め、イスラエルと日本が、それぞれ似て非なる仕方 で、第二次世界大戦の顚末とどのように向き合っているかを見定めたい。イスラエルが、 究極の生贄という意識状態の中で「身動きが取れなくなっている」一方、日本は、加害者 であったと同時に犠牲者でもあった過去の記憶とのより複合的な対話を続けている。
*講演は英語で行われ、セクションごとに日本語での要約が補足されます
講師紹介
ヨハイ・アタリア(Yochai Ataria)。テル=ハイ・カレッジ上級講師、オープン・ユニバ ーシティ研究員。トラウマに関する理論的・経験的・哲学的論文多数。複数の編著あり。 近著に、The Structural Trauma of Western Culture (Palgrave Macmillan, 2017)。また、 Body Disownership in Complex Post-Traumatic Stress Disorder が来年刊行予定。
会場
東海大学湘南校舎,19 号館 3 階 307 室(ミーティングルーム4)アクセスマップ
http://www.u-tokai.ac.jp/info/traffic_map/shared/pdf/shonan_campus.pdf
チラシ↓
御礼!ワークショップ満席になりました
以前↓こちらでもアナウンスしたヘブライ語入り名刺作りのワークショップすぐに満席になったそうです。
Feb 24 Shibuya Hebrew Letter Print Workshop ヘブライ文字の活版印刷の名刺 - ユダヤ人と言語
予定人数をオーバーする申し込みがあり、締め切り前ですが受付終了になったとのことです。
10人以上集まったことに安心した一方で(何人集まるんだろうって思ってました)、どういうところにニーズがあるんだろうと不思議に思っています。参加者の方々にお会いするのが楽しみです。
イディッシュ受講者紹介 + Sandy Fox + Lily Kahn (2014)
東京外国語大学オープンアカデミーのイディッシュ語講座初中級の受講者の皆さんのご紹介です。
まずはこの講座が長めの方から。
まずは我らに人生の先輩でもあるMileStoneさんです。イディッシュ語学習者だけではなく、熟練のブロガーさんです。
MileStone さんはブログにこれまでのイディッシュ語のクラスで何をやったか書いてくださっています。4月から初中級の講座を受講してくださる未来の仲間の方はMileStoneさんのブログをご参照ください!
こちら:
それにしても「イ・ソンヒファンの日々よしなしごとの綴り」と副題のつけられたブログの中にイディッシュ語の話が出てきてなんとも珍しい、おそらく世界初のマリアージュです。
さて次は第二外国語がイディッシュ語というアーティストのあやさんの作品です↓
ホワイトボード書く係を担当していただきました。アーティストですから、さすが文字も絵もお上手でバランスも素敵。自分で書いた時はバランスが悪くてホワイトボードに全員書ききれなくなりましたから、あやさんがいらっしゃって助かりました。リリー・カーンさんのイディッシュ語の教科書(77ページ)にある家族の絵を描いてくれました。
イディッシュ語のフェミニスト・ポッドキャスト運営者であり研究者のサンディー・フォックス(Sandy Fox, NYU)さんによれば、このリリー・カーンさんの教科書の値段が今超高騰しているようです。
中古で可の本が3000ドル以上って。手元のリリー・カーンは中古で4千円くらいで買いました。。。コンディションいいんですが、なぜかインドっぽい香りが消えません。
Sandyさんの投稿に寄せられたコメントによれば、↓下のリンクからだとまだ安く買えるとのこと。よかったですね。
Colloquial Yiddish New Edition w/Free Audio Online by Lily Kahn – Yiddish Book Center Store
さてさて、最後になりましたが、今年度の秋冬学期からの受講してくださっているのが、ジンタラムータさんたちです。さすがクレズマーのプロ(国内外で有名なアーティストさんなんですよ)、もうすでに、イディッシュ語で読み書き(もちろんスマホでも)そろばん(この前は足し算しました)できます。すごいですね。
ジンタラムータさんたちについては、このブログでいつか紹介させていただきたいと思っているのですが、とにかく壮大なスケールで。。。私にはまだ書けません。また改めて。
ちなみにFacebookではジンタラムータのみわぞうさんがクラスの紹介をしてくれています。
ってまさか受講生それだけ?!ってそうなんです!!来学期から増えると良いのですが。木曜の午後にお時間が取れたらぜひ私たちの仲間になってください!!!
講座一覧 | 公開講座 東京外国語大学 オープンアカデミー 東京都府中市
ユダヤ・スペイン語(ラディノ語)の集会
英語の教科書
英語を教えることになって初めて知ったのですが、教師はなんと教科書の見本がもらえます。
私が知らなかっただけで、これはもうほとんどの人たちが知っているジョーシキだったのかも知れませんが。
出版社に見本を送って欲しいとお願いすると(多くの場合はオンラインでとても簡単に手続きできる)、すぐに送ってくださいます。
この仕組みについて知ったのは、超寒い日に非常勤先の大学の廊下に営業にいらしていた出版社の女性にお会いしたときでした。寒い中重い荷物を持たれて本当に大変だなと思いました。
教科書についての説明を聞いている間、そういえば学部の時の指導教官が、その出版社の名前をよく口にしていたということを思い出しました。多分いい出版社だと思って、もうちょっと話をうかがったところ、最後にペンを2本くれました。
来年度の教科書のことをそろそろ考えたほうがいいのかと知って、家に帰っていろいろ検索してみました。一気にいろんな出版社の教科書の見本をまとめて請求できるサイトを発見しました。こんな便利なものがあるのかと感動しながら、夜中血眼になりながら教科書見本を送ってもらうように申し込みました。
そんなこんなで、英語の教科書がたくさんあることを知りました。
今日は教科書も決まりシラバスも書き終わり非常に良い気分です。一通りの作業を経て、結局イディッシュ語のことをまた思い出し、イディッシュ語の教科書も作りたいなあと思ったのでした。
学ぶ理由
大学の通信制講座で布を使ったアートの勉強をしている人が「何のために学ぶんでしょう。結局自己満足じゃないですか。できたら嬉しいよ」と言いました。
その人とは京都の宿で出会いました。彼女が受講している大学の通信制の講座は、年に何度かスクーリングがあるらしいです。スクーリングは何日間か続くようで、その間は日本各地から受講生たちが京都に集まるようです。
初めて出会ったときに「何のために学ぶか」突然問われて、私はなんだろう、どうしたんだろう。と一瞬戸惑いました。が、その人は続けました「自分が何で学んでるか、周りの人たちから理解されないのが一番辛い」と。
60歳くらいの女性でした。その人は自分の作品を両手に持って眺めるような仕草をしながら「自分が幸せにならそれでいいじゃないですか」と言いました。とても幸せそうで、それだけでもその人にとっても周りの人にとっても学ぶ意味があると思いました。
翌日その人は、通信のクラスメイトと朝早く出かけて行きました。
スクーリングは、普段通信で学んでいる仲間同士が顔を合わせ喜びや苦労を共有できる機会で、とっても意味があることだと思いました。
シラバス
シラバスとは大学の授業の内容について書いてあるものです。
昔は重い本だったので持ち運びも大変だったんですが、最近はウェブで見られるようになりました。
最近いくつかの授業のシラバスを書いていて、自分が学生だった時に読んだシラバスのことを思い出しました。
なんの授業だったか忘れてしまったけれど、思想系だったでしょうか。授業内容はあんまり書いてなかったんですが、最後に「私を涙目にしてください」と書いてありました。
一体この先生には何があったんだろうかと思いました。その授業は取らなかったような気がします。
最近ではシラバスの書き方も、いろいろと決まりがあるらしいです。私もシラバス執筆のための講座を受けたり、面接試験の課題でシラバス書きをしたりして結構勉強しました。
そんなこんなでシラバス書きに時間をかけているので、誰か読んでくれるといいな、せっかくだからもっと面白く書きたいな、とか、でもそれは来年からにしよう・・・と(毎年)思っています。
最近は、各回(1学期15回ほど)の予習時間と復習時間、そのページ数を書かなければならない学校もあるみたいです。なぜだろう・・・。知り合いから聞いてギョッとしました。
ところで東大の人文社会系研究科のシラバスは面白かったです。私は自分がシラバスを書くとき、その大学でどんなシラバスが書かれているのかお手本になりそうなのを一応チェックします。予習時間や復習時間、ページ数などは全く書かれていませんが(全く必要ないと思います)、講師がその科目にどのような意味づけをしているかがわかり、情熱が伝わってきたし、非常に勉強になりました。
ホロコーストを生き延びた人たち
ホロコーストを生き延びた人たちに共通するのは、メンタルの強さだと思います。
私が知る限りですが。これまで会った人、映像で見た人、そしてホロコーストを経験した作家の文章は不思議とそうでした。彼らはポジティブで明るく賢いから生き延びられたのかもしれないし、生き延びたからそうなったのかもしれないし、分からないです。
ホロコースト生き残りの人の文章を初めて読んだのは自分が高校生のときでした。ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』(みすず書房 1985)という作品だったんですが、まず怖かったです。あと著者はすごく運がいいと思いました。狂気に巻き込まれない冷静さと知性をもって、毎日生きてるうちに最後まで生き残りました。
この本からは「大変なときでも今を生きる、それだけに集中する、それが大事っ!」と学びました(でも結局、無駄にジタバタしちゃいます)。
さて、今度は自分が2006年からエルサレムに留学していた時に、ホロコースト生存者の方々に会いました。初めててあった時はとても驚きました。彼はぼくの経験を話してもいいかい?とヘブライ語で言った後にイディッシュ語で語ってくれました。私はことばがありませんでした。
私の研究しているイディッシュ語は東ヨーロッパのユダヤ人が話していた言語なので、こうして調査をしているとそういう人に会うこともあるんです。でも会うのもそれを知るのもごくたまにでした。
直接会った以外は、ホロコースト生存者のインタビューの動画をいくつか仕事で見たんですが、いずれの方もポジティブで冷静で、ユーモアと愛にあふれる素敵な方々でした。ツィピ・ラインベンバッハが親のホロコースト体験の語りを撮影した映画『選択と運命』という作品ではイディッシュ語の語りが日本語字幕付きで見られます。
ヘブライ語児童文学作家ウーリー・オルレブ(和訳がたくさん出てます)を読んだ時にやっぱ生き残った人はメンタルが超強いなと思いました(生き残ったから強くなったのか分かりません)。
ところで、先ほど話に出てきた『夜と霧』は必読だと思います。昔は霜山徳爾訳しかなかったんで読むのが大変でした。一週間かけて読みました。くじけそうになりながら、なんとか読んだ感じです。じっくり読めてよかったともいえます。『夜と霧 新版』 池田香代子訳 (みすず書房 2002) はすぐ読めます。一回本屋でちょっと立ち読みしたら全部読んでしまって(ちゃんと購入しました)、むかし一週間かかったのはなんだったんだろう〜って思いました。どっちも読めてよかったです。