ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

新聞の日付と浦島的状況と

今日たまたま2020年6月の新聞を目にする機会がありました。あれ、6月の新聞?今日4月じゃなかったっけ?時が一瞬止まったよう。感染者数が随分少なかったので、気が付きました。もう2022年なんですよね。
それで改めて、2年以上コロナ禍だったんだなあと思いました。移動したり対面したりすることが激減し、様々なことがオンラインに切りかわり、思いもよらなかったことが次々と起こりました。前によく着ていた服を着ることがなくなり、気づいてみれば、パジャマを着ている時間が一番長くなりました。ヘビロテされたパジャマたちは、ボロボロになってしまいました。
振り返ってみれば、この2年間はとても短く、あっという間に過ぎました。時々鏡をじっくり見るとパジャマだけではなく私もボロボロ。結構白髪も増えていて、浦島太郎的な気持ちになります。龍宮城にはいかなかったけれど。
もともと背水の陣、火の車的になってしまった人生なのに、この2年は自分に加えて社会の状況が悪化、辛くなることも多くて、本当に苦しかったんです。でも、これまでよりもイディッシュ語に注力できたので良かったです。これもいろいろな意味で生命の危機を感じる機会が多かったからかなと思います。今考えてみると。
この2年に自分の生活がガラッと変わり、近所の人と話す機会ができました。縁あってコロナ前から住み始めた場所。以前は隣人と話す機会はほとんどありませんでした。でもコロナ禍で子どもの学校が急に休校になり、「不要不急」の外出ができなくなりました。ベランダから、人が、とくに子どもが歩いていない、人の声がほとんどしない異常な近所の景色を眺める時間が増えました。
何が「要」で、何が「不要」なのか、もんもんと考えていました。私にとってはイディッシュ語とラディノ語が「要」で「急」だと頭と心に言い聞かせて、生きました。激しい毎日を送ったのだし、白髪も増えるわけです。
でもイディッシュ語やラディノ語の仲間たちは海外にいるので、今日に至るまでオンラインでしか会えていません。毎日会えているような状況が奇跡なので、贅沢は言えませんが。
こういった、ちょっと人恋しい状況で、私はだんだんと近所の人たちの活動や自然に興味を持つようになりました。自分でアンテナをはりだすと、ありがたい機会がもたらされるから不思議です。ここのところ縁あって、都市農園や、水辺の楽校という活動にかかわっています。屋外で作業をしたり、お茶をしながら近所の人と話したりするのですが、それがとても刺激的です。生きることについていろいろに教わる事が多いし、ふとしたことから世の中や自分自身に対して発見をしている気がします。
こういった集まりに参加していて、優しい人たちとテーマのある活動をして、ちょっとお茶を飲むようなことも「要」で「急」だったんだなと思います。まずは心のむくままにぶらりあるき出しただけでしたが、やってみてよかった(ふとイディッシュ語の集会と似ている点をたくさん見つけます。それはいつかどこかに書くかもしれないです)。
あと、「急」に「要」だと思ったのが、ふと心に浮かんだ若い時からの知り合いとの再会や連絡です。ときが遡るような感覚が新鮮でした。何者でもない自分そのものを受け入れてもらっているような感じで、幸せでした。私は優しい人たちに支えられて生きてきたし、いまもそうなんだなとしみじみと感じました。

私は感じやすく傷つきやすい人間なので結構大変なのですが、おかげさまでガラスのハートも癒やされて、助かります。皆様に本当に感謝しています。ありがとうございます。