今日は学生がスティーヴン・スピルバーグについて発表してくれました。担当の人たちは一番最初の発表でしたし、準備が大変だったかもしれませんが、立派でした。私は初回の発表が刺激的で嬉しかったし、ほっとしました。
発表担当の学生たちは、スピルバーグの代表作の一つ『シンドラーのリスト』、この映画とクロード・ランツマンの『ショア』の比較、スピルバーグの作品への批判の分析、映画"The Last Days"(スピルバーグ他によるドキュメンタリー)、スタンリー・クーブリックの未発表映画"The Aryan Papers"などについて説明してくれました。そして最後に議論ができるようにみんなへの疑問を投げかけました。
学生の発表をきいていて毎回、私がただ授業するより学生同士で学ぶほうがずっと良いと思います。同世代の人が何を考えているのか聞くのはとても刺激的だし、参考になると思うからです。
ディスカッションの練習、意見交換をしながら、発表テーマを発展させて、今起こっている問題を改めて考えることもできたと思います。こちらも勉強になりました。学生に発表してもらうまでは、担当講師も最初はちょっとがんばる必要があると思います。学生が自分たちで議論できるまでの司会かもしれません。学生が取り組むテーマが全くはじめてのことであれば、ちょっとヒントを伝えて、疑問点があったり資料がうまく見つからないようであればちょっと助けると、学生はちゃんと調べたり考えたりできると思います。でもうまくいくのは、私がとても学生に恵まれているからかもしれません。それでも毎回試行錯誤して、誰かに相談したりしてます。
今学期のクラスには、アフリカからの留学生2人、アメリカからの履修生が1人います。そして日本の学生は、私よりずっと若いです。みんなこちらが思いつかないような視点を提供してくれて非常に刺激的です。とっても英語が上手な人はたくさんいますが、英語が母語でない人がほぼ全員だと思います。みんなで英語を使うことで、共通認識は何か、お互い知っているようで知らなかったことは何か、相互理解の落としどころはどこかを探そうとしている感じが伝わってきます。
英語で授業する意味についていろいろ考えてきました。あれこれ考えるよりも実際やってみるほうが、英語で授業する意味を見いだせるなと思いました。
私が大学生のときに英語反対主義みたいな流れがありました。マイノリティ言語に興味があった私も、いろいろ読んだり話をきいたりして考えました。いろんな人の考え方に触れてはみたももの、深く考える前に実践して、やりながら考えることが私には合っているのかもしれないと改めて思いました。
授業の後散歩したら緑がきれいでした。「今日高尾山に行ってきた」という人に会いました。京王線の駅から相模湖まで歩いたのにすごくお元気そうでした。憧れます。