ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

Kakehashi 2-2

We arrived in LA and met the other scholars from Kyoto. She was wearing green for St. Patrick’s Day (March 17). We celebrate in in Tokyo, and maybe in other cities in Japan also.

ロスに着きました。京都からの研究者と現地リーダーのバーブさんと合流しました。去年の派遣でお世話になり、一年ぶりの再会です。お元気そうで何よりでした。

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私たちが疲れ果ててるのは多分締め切りと年度末の雑務とフライトのせいです。

Kakehashi 2-1

We are departing from Narita to LA for Kakehashi Project of Ministory of Foreign Affaires of Japan. During a week, we visit several Jewish communities in LA and San Francisco.

今日から外務省の派遣でアメリカの西海岸に行ってきます。去年のユダヤ派遣の第1回目では、東海岸に行きました。

syidish.hatenablog.com

今度は今日から西海岸に行くことになりました。

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We are five in Narita but going to meet five more scholars from Kyoto in LA.

外務省の派遣事業です。去年参加した志田さんと私、鴨志田が引率です。偶然ですが苗字が似ています。

日本でユダヤの研究をしている人たちがアメリカのユダヤ人コミュニティと交流してきます。京都とシンシナティ合わせて、あと5人の仲間が出発して、ロサンゼルスで合流します。

保育園レクチャー第2弾

都内の保育園で年長さん向けにトルコのお話をしました。

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地図や、以前トルコのユダヤ人に会いにいった時の写真を見せながら、自分の専門にもからめながら話しました。

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アジアのはしっこに位置するトルコと日本は離れているけれど、いろいろなつながりがあって面白いなともいました。

この保育園では、給食にトルコ料理がでたそうです。みんな「おいしかった」と言っていました。本当にすごいです。。。

それにしても年長さんは、もういろんなことを知っていました。中にはトルコがアジアとヨーロッパの間に位置していて、イスタンブルの場所まで言える人がいました。世界の空港が好きで、ほぼ日の地球儀とか見ているそうです。好きって大事なことですね。

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こんなに物知りだったら、NHKの人気番組の主人公、チコちゃんもびっくりなのではと思いました。

チコちゃんに叱られる! - NHK

こんな、5才のチコちゃんが問いかける素朴な疑問にあなたは答えられますか?
知らないでいると、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られます。

こんなにすごい年長さんがいるとなると、大人もぼーっと生きてられないですね。

ところで年長さんは、来年度から小学校ですので、お昼寝なしでお勉強することになります。私が授業をしたのは、ちょうどみんながいつもお昼寝していた午後2時からでした。途中ちょっと心配しましたが、最後の質問コーナーまで無事に起きていてくれました。子どもたちの質問は本当に素敵で・・・。私も改めて世界について考えるきっかけになりました。

授業の後で、質問やコメントを言いに来てくれた子たちがいました。「ハワイ行きたい」という人もいたので、「大人になっていっぱい働くと行けるよ」と伝えました。「どうしてそんなに物知りなの?」ときいてくれた子もいました。

それにしても子どもの好奇心はすごくて、気持ちも素直です。大人になってもこんな姿勢で学べるのが理想だなと思いました。

ちなみにチコちゃんのこんなニュースをみつけました。

「チコちゃん」に大賞 文化庁メディア芸術祭 - 産経ニュース

すごいですね。

ucLADINO

I will visit UCLA for ucLADINO Feb 25-26 and make a presentation on Feb 26.

ucLADINO | UCLA Alan D. Leve Center for Jewish Studies

UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で行われるラディノ(ユダヤスペイン語)のミーティングで2月26日に研究発表をします。

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私は自ら言語のための活動に参加して、そこで誰が何をやっているのか観察して考察するという参与観察という調査方法を使っています。

今年は自分も発表者として参加することができます。どんな人たちが集っているのか楽しみです。

子どもの頃、ほとんどはじめての海外旅行でUCLAに行きました。日本人のバスツアーで寄って「ここで勉強している人がいるんだな。かっこいいな」と思いました。何十年も経って再び研究のために行くことになるとは。人生何が起こるかわからないですね。

ドミニカ共和国独立記念日のパーティー

六本木のクラブでドミニカ共和国独立記念日パーティーがあって招待してもらい行きました。

1844年2月27日はハイチから独立した記念日です。他にスペインから独立した日(2回)もあります。

ドミニカ共和国 - Wikipedia

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国家が流れた後で、領事スピーチ。ドミニカの歴史のお話は結構長かったのですが、スカートの女性たちはずっとこの格好で話をきいていました。

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そのあとルイス・ササキというダンサーが出てきて、ずっと踊りました。楽しそうでした。教室もやっているそうですのでご興味のある方はどうぞ。

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下の写真で、白いシャツに赤いジャケットがルイス・ササキ、その隣のネクタイの人が大使です。ルイスって誰かに雰囲気が似ているなあと思ったのですがりゅうちぇるでしょうか。

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最初静かにはじまったけれど、ノリがすごかったです。これまで行った大使館のパーティーのなかで、これが一番にぎやかでした(今までのところ)。

実はパーティーを仕切っていたジュリッサさんは私のスペイン語の先生です。

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私の隣がジュリッサ、その隣がジュリッサさんのダーリンです。そのさらに隣は、スペイン語もクラスメイトのご夫婦。ラディノ語(ユダヤスペイン語)のためにスペイン語の勉強をはじめましたが、スペインのみならず、中米(そしてスペイン語の教科書には南米の話も出てきます)のことまで知ることができるとは・・・よかったです。

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お立ち台のようなところにも人が登って、にぎやかでした。ジュリアナ東京とかに私が行くまえにバブルも弾けたんで、バブル世代ってすごかったんだろうなと、数十年前の見ぬまま終わった世界おもいを馳せました。

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老若男女問わず、踊り方を教えてくれる人たちもいて親切でした。

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途中、バリっぽい仮面の人が出てきました。

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さっきのルイスというダンサーがマイクで踊りを仕切って、音楽とともにみんな踊りまくっていました。バリっぽい仮面の人がお立ち台みたいなところに出てきました。

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最後は領事も旗を持って踊って、ルイスとかなり盛り上がって、そのまま閉会となりました。

会場から出るとき大使がひとりひとりと握手してました。ドミニカ共和国にいつか行ってみたいです。

 

最終回 白水社『webふらんす』

イディッシュ語講義録の翻訳掲載中です。

「あなたはイディッシュ語を知っていますか」

ミリアム・トリン博士講演録 第3回

2016年10月14日早稲田大学(戸山キャンパス)

最終回の第3回はイディッシュ語文学についてです。イディッシュ語文学のポイントをざっと知ることができます。講義録の最後には、日本語で読めるイディッシュ語文学のリストもつけました。

三人の作家は、現代のイディッシュ語に大きな影響を及ぼし、たくさんの言語にも翻訳されています。
 しかし残念なことに、この三人の作家たちは家庭ではイディッシュ語を話していませんでした。彼らは「より文化的」な言語で家族と話しました。メンデレとショーレム・アレイヘムにとってはロシア語、ペレツにとってはポーランド語でした。最近ショーレム・アレイヘムの最後の孫がアメリカで亡くなりましたが、イディッシュ語を話しませんでした。彼女も作家ですが、英語で書いていました。

続きはこちらから:

「あなたはイディッシュ語を知っていますか」ミリアム・トリン博士講演録 第3回 | web ふらんす

だいぶ前の講演で、講演時にすでに訳もあったのですが、手元で眠っていました。白水社の編集者の方のおかげで、全部公開できました。とりあえずこれについてはひと段落です。安心しました。

ミリアムさんはまた日本に来たい、今度はガチでイディッシュ語教えたいと言っているので、いつかそういう企画ができればなあと思っています。

 

理不尽と、ことばの力

不幸にも、理不尽にぶちあたってしまったとき、みなさんはどうしますか?

そんな時こそ、書く力を発揮できるのかもしれません。書くことで自分も救われるのかもしれません。良心がある人がそれを読んでくれたら、理不尽に傷つけられた魂はだいぶ癒されるのかもしれません。私は書くことの重要性をイディッシュ語の作家たちから学びました。

自分はどのことばなら書けるのか、誰に向けて書くか、何のために書くのか。ユダヤ人たちとイディッシュ語で文学を読みながら考えさせられました。もし彼らが書かなかったら、私は何が起こったかを知ることはなかったと思います。東欧でのユダヤ人の生活、ユダヤ教のこと、移住のこと、ホロコーストでの犠牲、イスラエルでの生活など、イディッシュ語の作家たちは、今と未来の仲間たちに向けてメッセージを発信していたのだと思います。イディッシュ語でなければ書けなかった作品が大部分だっただろうと思います。

みなさんもご経験があるのではと思いますが、私はちょっとした伝達のメッセージでも、手紙でも、レポートでも、論文でも、ただ書くだけなのに結構大変な思いをしています。中でも、辛いことや言いにくいこと、自分でも何が起こったのかわからないことを書くのは大変です。

イスラエルイディッシュ語文学の研究者によれば、ホロコーストユダヤ人の作家たちはしばらくその現実を書けなかったそうです。東日本大震災と福島の原発事故からしばらくして、日本の作家が同じような話をしていた気がします。

自分たちに何が起こったのか受けとめてことばにする作業は、かなりの苦しみと痛みをともなうけれども、自分を救うためにも、何があったかを明らかにするためにも、やれる人がやらなければいけないのだろうと思いました。

先日、ホロコースト生存者の知人の奥さんからご主人が亡くなったという知らせを受けました。私は9年前くらいに博士論文のための調査をしていたときにその方に出会いました。
(そのあと書いた博士論文『現代イスラエルにおけるイディッシュ語個人出版と言語学習活動 』こちらです。)

亡くなったその方は、ホロコーストで自分に何が起きたのかについて、イディッシュ語で話してくれました。奥さんも同席していて、最初はみんなでヘブライ語で話していたのに、ホロコーストの回想がイディッシュ語になったことに驚きました。ホロコーストについてはたくさんの人が書いていますが、まだまだ書かれていない現実が人の心の中にたくさん眠っているんだと感じました。このインタビューはまだ私の心の中にしまってあって、何もしていません。これはいつか何とかしたいと思っています。

そして、私個人も言語化できない体験はたくさんあるのですが、言語化すると、何が起こったのか整理できて、もし恵まれていれば誰かがそれを読んでくれます。理不尽なこと、悲しかったこと、そして、嬉しかったこと、ほっこりしたことなど、ことばにすれば遠くの人にも未来の人にも届けることができます。

どのことばで誰に届けるか、自分はどのことばならそれについて書けるかというのは、複数の言語を使う人にとってはいつもあるテーマなんじゃないかと思います。


最近偶然見つけた看板でしたが、じっとみてしまいました。
お互いの理解を促進するため言語化するのも一つの有効な手段だと思います。

白水社『webふらんす』の連載 第2回

白水社のウェブサイトにイディッシュ語についての講演の飜訳を掲載中です。イディッシュ語の基礎を知ることができます。また、ユダヤ人の考え方を垣間見ることができます。「あなたはイディッシュ語を知っていますか」第2回、どうぞお楽しみください。

 

↓リンク

「あなたはイディッシュ語を知っていますか」ミリアム・トリン博士講演録 第2回 | web ふらんす

3. イディッシュ語は「つぎはぎ」の言語
イディッシュ語ヘブライ文字
 イディッシュ語は、一般的に中高ドイツ語から派生したゲルマン語だと言われています。でもユダヤ人はイディッシュ語ヘブライ文字で書いてきました。ヘブライ文字ユダヤの伝統的な表記法だからです。ラテン文字キリスト教の教会との繋がりから・・・(続く)

↓続きはこちらからwebfrance.hakusuisha.co.jp

 

なおこれは連載です。

↓第1回はこちらから

「あなたはイディッシュ語を知っていますか」ミリアム・トリン博士講演録 第1回 | web ふらんす

まもなく第3回目も掲載される予定ですのでどうぞお楽しみに!!

 

岩波新書『ユダヤ人とユダヤ教』

一般の方にも玄人の方にもおススメです。東大の宗教学研究室の市川裕先生のご著書です。

ユダヤ研究をやっている人もそうでない人も、とりあえずおさえておきたいことがかなりわかりやすくまとまっています。日本人として長年ユダヤにガチで取り組んでいらっしゃる著者だからこそ、日本語でここまでわかりやすく説明できるんだろうなあと思いました。想像するに、断片的にではなく流れでここまで説明しきるのは、かなり大変な作業なんじゃないかと思います。

本の学校教育では、残念ながら、ユダヤ人について学ぶ機会が乏しいです。けれども世界について知るためにはユダヤについての知識は不可欠です。

ということで日本人ももっとユダヤについての基礎知識をある程度体系的におさえておく必要があります。

この本は長年国を持たなかったユダヤ人の歴史や考え方を知るのに便利です。

イディッシュ語についてもいろんな項目で触れられています。必読。

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ユダヤ人とユダヤ教

市川裕 著

ユダヤ人とユダヤ教 - 岩波書店

↓ちょっと読めます。

https://www.iwanami.co.jp/moreinfo/tachiyomi/4317550.pdf

「ユダヤ人、ユダヤ教、イスラエル」かわさき市民アカデミー

2019年度前期、ユダヤについての社会人向け講座があります。私はイディッシュ語について話します。

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ユダヤについて幅広く知ることができます。

詳細はこちらにお問い合わせください:

川崎市の生涯学習 認定NPO法人かわさき市民アカデミー

パンフレットより。

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バラハスで見たもの

1月6日は公現祭という祝日でした。

公現祭 - Wikipedia

その前夜、バラハスというところに泊まりました。マドリードの住宅地という感じでしょうか。空港も近かったので飛行機の音が結構しました。

バラハス - Wikipedia

泊まった部屋からの景色。

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街中と違って、ちょっと移動しないと食事にはありつけませんでした。

それと、この地域には南米の人が多いことがわかりました。

夕飯を食べるために8時ごろ通りに出ると(スペインでは夕食のためのレストランなどの開店時間は8時ごろから。開いている場合も、店の人から夕飯はまだ作れないと言われることもありました)、なんと子どもたちがたくさんいました。

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アルゼンチン料理屋がある広場に向かいました。すると、大音量の音楽が。

広場にはステージもあって人であふれていました。子どももたくさんいて踊っていました。

ゆるキャラも出てました。

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なんとも言えませんが、楽しかったです。南米にも行ってみたくなりました。

実は、私のイディッシュ語の先生の多くも、スペイン語の先生も南米出身または在住です。

ちなみに、アルゼンチンやブラジル、メキシコにもイディッシュ語話者がいます。

 

バスク語でアイヌ語のこと

サン=セバスチャン(カタルーニャからバスク - ユダヤ人と言語 Jews and Languages)にいるときに、バスク語をたくさんききました。

バスク語:

バスク語 - Wikipedia

単語レベルならスペイン語や他の言語と似ているものもあり、なんとかなることもあるのですが、それより長くなるとわかりませんでした(とはいえみんなスペイン語ができます)。同じ研究室にバスク語ができる人がいるので、彼のことを改めて尊敬しました。

サン=セバスチャンではかなりの人が英語ができますので、バスク語ができなくても住めるそうです)。

入口がバスク語スペイン語、フランス語の三言語表記のサン=セバスチャンの図書館

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バスク語は聞いても聞いても、自分が知っているどの言語とも似てない気がして、これを学ぶのはかなり難しいなあと思いました。

バスク語の意味が想像つかないので、同じような思いをしたアイヌ語のことを思い出しました。

駅で見つけた三言語表記。一番上はスペイン語ですが、2番目のバスク語が太字。3番目の英語はフォントを小さくしてありました。

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言語学者の故田村すず子先生は、アイヌ語で有名でしたがバスク語も研究していました。

私は学部生の頃田村先生から「耳がいいっ!」と何度かスカウトされて、田村先生の研究室でバイトを始めました。内容は、アイヌ語話者へのインタビューの書き起こしです。

そもそも日本語じゃないし、話の内容もわかんないし、日本語にない音がたくさんあるし、むちゃ難しいです。

忘れかけてる言語なのにハードな調査に付き合っているアイヌの女性。。。その肉声をテープできいていたら、私は心が痛み、悩みに悩み、バイトを辞めました。

↓ところでこちらは興味深かったです。

田村すず子先生の情熱と真剣さ、愛が伝わってきます。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/gengo1939/1996/109/1996_109_140/_pdf

バスクに来ました

バルセロナから5時間半、ついにサン=セバスチャンに着きました。飛行機と違って動きやすいですし、なんといっても地上を走っているだけですし、気軽で快適でした。

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きれいなところです。建物もマドリードバルセロナと違います。人の顔や体格も違うように思います。背が低くて大きい感じです。

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言葉はスペイン語と、バスク語(全然わからない)と、英語とフランス語がきこえてきます。
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ビーチ沿いの遊歩道。広くてさわやか。
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水がきれいです。
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この辺は日本人が8人くらいました。
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きれい。。。地中海とまた違います。
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み、水が透き通っている!
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公園もたくさんあります。

どこも混んでます。

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見守りしている保護者が真剣な顔してに話してます。日本の「ママ友の輪」と違う雰囲気。

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夜の公園。といっても6時すぎです超寒かったですが、子どもたちは元気でした。大人は公園の隣のカフェのテラスで飲み物飲んで、自分たちの話に真剣になってます。日本にもこういうのがあればいいなと思いました。
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カタルーニャからバスク

カタルーニャからバスクに移動しています。

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バルセロナからサン=セバスチャンまで電車で5時間半です。結構長い時間です。飛行機で移動する距離かもしれません。

とりあえず快適なのでよかったです。

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朝8時、外は暗くてまだ景色もほとんど見えません。

iPhoneのカメラがいいのか、目で見るよりははっきりした景色が写真にうつりました。

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カタルーニャからバスクに移動するので、ことば、料理、気候など、いろいろ違いがありそうで楽しみです。

バスクには20年前に一回行ったことがあります。どの駅だったか忘れましたが、どこかからマドリードに行くために、列車の乗り継ぎで3時間待ちました。駅のまわりを散歩して、ランチにパエリア食べて、空が青くてすごく気持ちよかったのを覚えてます。