ユダヤ人と言語 Jews and Languages

みんな何かでマイノリティ。鴨志田聡子のブログです。All of us are minorities. By Satoko Kamoshida

シリーズ「広島に行って」2 回目 高校で日韓の歴史認識のズレを知った時のこと

(前回の続き。乱文ご容赦)

幼稚園のときの私は大人になったら「テレビ屋さん」になりたいと思っていました。その後将来の夢は漫画家や作家、エッセイストとなりますが、なにかをつくりたかったのだと思います。大学時代はお金がなくてテレビが買えなかったのを機にテレビなしの日々をすごしていましたが。

話を戻すととにかくテレビっ子だったので、子どもの頃から毎年夏になると、第二次世界大戦のドキュメンタリーをたくさんみました。大学時代に夏に海外に行くようになって、はじめてそれなしの生活がはじまりました。そこでいろんな人と接点を持って、さらに第二次世界大戦を意識するようになりました。

私の祖父は2人とも戦争に行って、帰国しました。今考えてみると、身近な2人が帰国したということに気づいていませんでした。子どもの頃は、戦争に行った人は、全員亡くなってしまったとぼんやり思っていたんじゃないかと思います。祖父が帰国してたことに、大人になってから気がつきました。祖父たちは、無事だったかというとそうではなく、少なくとも本人の心は大変だったように見受けられます。

祖父たちと同居した家族も影響を受けたようです。細かいことはわかりません。でも断片的に聞く限りでも、壮絶でした。最近近所の人たちから戦争から帰ってきた男性たちが、めちゃくちゃに辛い思いをしていたのに周りから理解されずに苦しんだようだという話をちょっとききました。

数年前に私まで戦争の影響を受けていることに気がつきました。イディッシュ語の仲間の同世代のユダヤ人たちが、ホロコーストの影響を受けているのを目の当たりにしてきました。継承されない、または継承されたトラウマが彼らを襲うのを見てきました。

実は戦後日本の「一般的」サラリーマン家庭でのんきに育ったつもりだった私自身も、それなりに辛い状況に置かれてきたらしい。ということを受け入れざるを得ず、ショックでした。「一般」なんて幻想でした。

父方の祖父は父が5歳?の頃に亡くなったそうです。母方の祖父は怪我の手当てをする係だったようですが(また聞き)、戦争について全く喋りませんでした。どちらも特に身分などなさそうでした。

私は高校生時代に韓国体験学習というのに参加して、韓国の姉妹校の同世代と交流しました。当時は封筒と便箋をつかっての文通して親交を深め、お互いの国を訪問してホームステイしました。そのとき自分は日本軍がやったことをずいぶん知らないんだなということを知り傷つきました。いろいろ案内してくれたガイドさんは「やった方はすぐ忘れるけどやられた方はずっと覚えている」とおっしゃっていました。きっとそうでしょう。私は自分が相手にやったことをまずかったかなと気にして傷ついてしまうタチだけど、それでもやったことに気付かない不幸なことも多々あるのだろうと思います。やられても気がつかない場合があり、いずれにしても要注意です。

イディッシュ繋がりのアメリカ人が最近「おじいちゃんは自分が日本にしたことをずっと後悔している」と書いていました。彼はずっと前に私に「おじいちゃんは日本が好きで、戦後(も)日本によく行っていた」と話していました。その時第二次世界大戦のことは言わなかったけれど。なんとなく感じながら、でもそれ以上話しませんでした。やった方も人によっては覚えてますね。「ひどいことをした」と意識できる人は、ずっと傷つきながら。

韓国訪問時に戻ります。「自分は何も知らない」と意識すると、韓国の友だちとディスカッションすらできませんでした。ただひたすら聞いて、ひたすら申し訳ない気持ちでいっぱいになったのを覚えています。

友だちの家に泊まっている時、そのおじいちゃんが電話してくれました。おじいちゃんが流暢な日本語で、困っていること、韓国でやってみたいことはないかと聞いてくれたのを覚えています。おじいちゃんとのやりとりがあまりに自然だったのが、辛かったです。また申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

おじいちゃんとの電話は私が社会言語学に興味を持つきっかけになった出来事の一つだと思います。

縁あって始めたイディッシュ語ユダヤ人の研究ですが、ぐんぐんすいこまれていきました。それは第二次世界大戦に興味を持っていたからだと思います。

祖父が2人とも戦争に行っていたのに私は何も知らなかったし、彼らは何も語らずにこの世を去ったのでした。だからなおさら知りたくなったのかもしれません。イディッシュ語の仲間たちが家族がホロコーストについて話してくれないから研究していると言っていたのを思い出します。(また今度書きます)

(明日に続く)